明治・日本軍の最初の水筒
日清戦役のとき日本陸軍は装備品として水筒を配備しました。
それはガラス製で黒い牛革で包んだ700CCの水筒です、正式には『吸筒・すいつつ』
と呼ばれていたのです。
この牛革の中は(上)ガラスです
その後、アルマイト製の700CC『日露型』から、1000CCの『昭5式』が出来ました。
この時は兵器ではなく年式のない通称名です、『昭5式』が4年後の昭和9年に正式兵器となって『94式水筒』になります、この時に『吸筒』が『水筒』に名称が変わりました。
(よく似た名称変更は『鉄兜』が『鉄帽』になった例もあります)
私の長年の謎だったのは、
何故?明治に水筒を『吸筒・吸いつつ』と呼んでいたのか?
興味のない人にはどうでも良いような話ですが・・・水筒コレクターの私の中では重大な疑問でした。
それが!ようやく分かりました。
長年探していた本が手に入ったのです。
「日本兵食史」上巻・下巻( 昭和8年・陸軍糧秣本廠 )です。
陸軍の本ですが内容は日本古来より徳川時代までの戦陣食糧の歴史です。
この本でようやく分かったのです。
戦国時代より水の容器には『吸い筒』という名前が普通だったのが明治の健軍時に引き継がれて『すいつつ』となったようです。
又『吸い筒』の語源は水筒に直接口をつけて呑むので無く、細い筒を入れて・・
・・今のストローで呑む水筒と全く同じ構造だったのです。
今のストローで呑む水筒は既に1400年代、応仁の乱に発明された物のパクりだったのです。
その上、すごいのは携帯して居ても、ピチャピチャと不安定に揺れて水が零れないない知恵もあったのです、
それは水筒(竹筒や革袋)の中に≪ 海綿や水吸藻・ウシワタとも云う ≫ を入れて安定させ、落としても水が吹き零れない工夫をしていたのです。
とにかく『吸い筒』⇒『水筒』の謎が分かりました。
今の映画やテレビでも全くこの『吸い筒』の知識の無いままで竹筒に口をつけて水を飲むシーンがあります、そんなシーンを見たら一言「馬鹿だねー」と言って笑いましょう。
昭和初期の美人です