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武蔵機銃員の防弾

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 ・・・主砲の爆風の凄さについて・・・


重巡洋艦妙高の話ですが・・


昭和17年3月1日


スラバヤ沖・・・搭載の水偵安永機が発進後、右舷射出機に装填されていた水上観測機が最初の主砲発射で4番砲塔の爆風を後ろから受けて木っ端微塵に壊れた。


妙高射撃指揮官はまず緒戦の射撃で味方観測機を《撃墜》したことになる。


 この主砲は20センチ砲だがこのように爆風が強烈である、


46センチ砲なら甲板にいる全てが吹き飛ばされてしまう。


 


昭和19年10月のシブヤン海の対空戦で武蔵からの主砲射撃は


第一次 0発


第二次 9発


第三次 28発


第四次 7発


第五次 10発


合計でわずか54発の主砲弾しか撃っていない、この間は対空機銃群は主砲の爆風に飛ばされないように退避していた。


主砲を撃つ前から副砲は三式弾を打上げていた。


 撃ち遅れた46センチ砲!この全く役立たず(ゴメン!)の主砲は完璧な装甲で防御されている。


第一次空襲の時一番砲塔に百ポンド爆弾(約四五キロ)が直撃した、塔内内には轟音とともに電灯が消えた・・・が戦闘ご砲塔の天蓋に登ってみると命中箇所は径30センチほど塗料が禿げて地金が出ているだけであった。


天蓋は270ミリの装甲で1000メートルからの250キロ爆弾に耐えるように出来ていた。


たった54発の砲弾を打ち上げて《効果0》の46センチ砲を完璧に防御していた。
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その反面では対空戦闘で最初から最後まで奮戦した機銃群は殆ど無防備、気休め程度の装甲版があるのは初期の機銃群だけ、五番、7番、特設一番機銃から構成の特設機銃群以後にはそれさえなく土嚢を積んだだけで鉄帽もかぶっていない。


そして重要な機銃の弾丸!一五発弾倉を二個持って走る兵は無防備で次々と倒れて行った、倒れた兵士の血潮で甲板は滑って歩行さえ困難となっていた。優秀な兵士は次々と被弾・・・203高知の再来以上の惨状!
大鑑巨砲主義の「責任者はだれだぁー」と叫びたくなるのは私だけではないでしょう!!


 
国家を守るために止む無く始めた戦争ですが・・・やはり武装と同じように兵士の安全も守るのがたいせつでしょう。


防弾チョッキは完璧なものではありません(今でも同じですが!)


それでも身体を剥き出しの機銃員などには全て配備するのが『帝国の戦艦』だと思います。


第一次空襲の時、細野軍医中尉の所には負傷兵が次々と運ばれて来た、その中の一人は既に息が無かった、防弾チョッキを付けた胸部に機銃弾を受けて星少尉は絶命していた。


少尉を担いで来た機銃員は細野軍医が「既に絶命している」と告げると少尉の身体から防弾チョッキを脱がすと慌ただしく治療所を出て機銃座に走り去った。


『それほど機銃の連中には防弾チョッキが不足しているのか・・・』と思ったそうです。


敵機の機銃弾が簡単に貫通する防弾チョッキでも、せめて甲板上の兵士には揃えて欲しかったと思ったのです。

  防弾チョッキ・陸軍のしか写真がありません。多分海軍も似たような防          
   弾チョッキだと思います。
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陸軍のものです


その星少尉指揮の機銃郡の銃座も生還者は居ません。


必死の形相で敵機に向けて銃弾を送り続けて倒れていった兵士の心情や哀れでなりません。


 


今、海底にあるのは武蔵と倒れていった勇士の魂です。


物理的に鉄の構造物≪武蔵≫と感銘を受ける以上にここに眠る勇士の事を思い浮かべて欲しいと思います。

辛い重い話は終わります。次はもう少し、軽い話です。



帝国海軍さんのお握り

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重い話の次ぎは食べ物・・・
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《 戦闘配食 》


戦艦武蔵では・・・19年10月24日未明より戦闘配食が作られていた。


白米8・糯米2の割合で炊いて握り飯を作る。


炊きたての飯は熱く水で濡らした軍手で握った、新しい兵は湯呑に飯をいれて形を作ってから素手で握らされた、直ぐに手が白くふやけてしまった。


別の班では手動式握り飯器を使用した、これは武蔵初代衣糧長の 四十院吾楼(つるしいん ごろう)少尉の発案の一度に6個の握り飯を作ることができた。


 


3200名分の握り飯を短時間で作る蒸気の立ち込める高温の炊事場所では修羅場の戦場である。


梅干を入れた握り飯を副食の沢庵、福神漬と一緒の食缶に入れて各戦闘配置に配られた。配食は午前6時から9時までかかった。


この時の握り飯はセロハンで包まれていた


「綺麗な弁当だ、最後の弁当だからセロハンに包んだのかな」


聞かれた主計科の兵曹は「軍需部にいつもの竹の皮を請求したが間違ってセロハンが入っていたのです」


これが武蔵で最後に配られた戦闘食のセロハン握り飯となった。


敵の飛行機が来る前、戦闘配置につく兵は緊張して敵を待っていたが・・


既に厨房烹炊所では熱い飯を熱い熱で手をふやけさる時間との戦いの握り飯を延々と作る戦闘がはじまっていたのです。

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  ( 戦前の雑誌写真なので画像が荒くてスンマセン)

 


なお・四十院少尉の考案した手動式握り飯器は6等分の区切りのついた丸い木型の箱に飯をつめ、梅干を置きもう一度飯を被せてコロコロと回す三角型握り飯が早くできた。


効率がいいので鋳物製も作られた。


( 海軍では握り飯は三角形なのは竹の皮に包みやすいからだそうです。


ちなみに一食分の米8・割麦2・の2合を握ると3個が握りやすい大きさだ  そうです、


陸軍は2合を二個の丸型にすると飯盒に入れるのにちょうどいいとのことです )
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《手動式握り飯器》の実物はどのような物か色々調べましたが不明です。


この四十院(つるしいん)少尉が掌衣糧長時代に工作科員の協力で作ったそうです。


少尉は国立栄養研究所所長で佐伯矩(さえきただす)博士の『佐伯栄養学校海軍委託学生」でした。


『武蔵』関係の記録では『四十九院』となっているが佐伯栄養学院では海軍委託学生『四十院』と度々記徐があり『四十院・つるしん・梧楼』少尉が正解だと思う。


豊田穰の「戦艦武蔵レイテに死す」では『四十院・つうしいん』少尉と呼び方にも異説があります。

姓の読み方は本人はあまり気にしないものだと・・自分の人生から思っています。
理由はややこしい姓を付けた先祖の責任で、少々読み方違っても良いだろう、と自己判断。


蛇足ですが私の姓は「いっしき」とか「いちしき」「いっしょく」「いっそう」などと読む人によって異なっていました。


子供が学校に行っている時によく「どれが本当なの?」と聞かれましたが


「読む人の好きな読み方で良いのでは」と言って問題なく生活しています。


姓の漢字はともかく、読み方は多分 四十院少尉も苦笑してた・・とお察し致します、


 


蛇足・・・お握りは地方によって形が三角・丸・俵・寿司型など色々ありますが私の田舎では三角が普通です、丸や俵型や寿司型は『無精お握り』と言って、握った人を不器用な人と言います。


握り寿司職人さんは決して不器用では無いと思いますが・・・。

       海軍勇士の戦闘食に感謝!
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固定した艦艇の対空射撃




ドックに固定した艦艇の対空射撃


   駆逐艦『濱風』
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昭和20年1月13日


台湾の馬公根拠地隊工作部の船梁に入梁中で機関は停止していた為


主砲の12,7センチ砲は使えない。


空襲の警報に機銃弾以外の砲弾と兵員を陸上の防空壕に避難させた。


25ミリ3連装・4基 


13ミリ2連装・1基


25ミリ単装22基    計36挺


艦に残ったのは前川艦長・丹羽砲術長・磯山航海長(元「武蔵」乗り組み、終戦時志摩半島第一特攻隊第13突撃隊指揮官)・桐谷通信士


機銃員・見張り・運弾員が残留。


予備照尺1000・仰角60度・追い討ちを厳禁の命令で敵機を待つ。


 


1020時 


大波 F6F2機・アベンジャー29機


続いて更に30機が襲撃してきた。


 


丹羽砲術長が射撃指揮所から射撃を命じて全機銃が打ち出した。


投下された爆弾等は約40発、


 


第二波はアベンジャー約30機


この空襲を陸上から見て居た武田水雷長は空襲終了後


・・・『固定した機銃は良く当たるもんだ』・・・


1115時 


「打ち方待て」で機銃弾は約1万発発射、残弾は1銃平均320発


1130時 陸上の火薬庫に避難してあった機銃弾をリヤカーで補給完了。


第3波も殆ど同じ状況でアベンジャーとF6F18機が襲来。


1145時 3波が終わった。


 

『濱風』の対空戦闘の戦果は撃墜8機、撃破20機


この戦果は武田水雷長達だけでなく馬公の住民の見て居る前で確認された。


この後馬公では『濱風』乗組員は買い物をしても床屋に行っても料金を受け取ってくれないほど感謝された。


更に、これ以降は馬公に敵機の空襲は無かった。
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25ミリ機銃
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13ミリ機銃


 


以前に停止している艦艇 (駆逐艦涼月と柳)の対空射撃は良く当たる!


とアップしましたが『濱風』でも同じだったと分かりました。


武田水雷長の「固定してある艦の機銃は良く当たる」と感心した言葉でも


高速で航行中の対空射撃との差がわかります。


この『濱風』も昭和204月坊ノ岬沖海戦で戦艦「大和」と共に撃沈されました、


馬公の英雄達の勇士も殆どが戦死されました(謹んで黙祷)


《尚この空襲で二等駆逐艦「栂・つが」が擱座着底、種艦艇2隻が少破 》
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志摩半島の「海龍」部隊



志摩半島の『海竜』部隊


 


『武蔵』の生存者の磯山大尉・浜風航海長が


  第一特攻戦隊第13突撃隊指揮官・・志摩半島の鳥羽


『海龍』二名乗り。小型有翼艇両舷下部左右に二本の魚雷・二式魚雷


艇の頭部に600kの炸薬、鳥羽の部隊では炸薬を付けずに燃料タンクとなって居たようです。
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鳥羽の突撃隊基地には魚雷が豊富に備蓄されて居て魚雷を装填して出撃、


魚雷を発射したら基地にもどり再度魚雷を装填して・・


再度の出撃を魚雷が無くなるまで何度も反復攻撃をする。


『体当たりは最後の手段と隊員に伝えてあった、部下の士気が高く軍旗風紀を乱すものは居なかった』


とのことで普通に考えて居る必ず体当たりの《人間魚雷》的な突撃隊では無く、あくまでも敵を雷撃するための決死の出撃だったとのことです。


 但し!実用訓練では海龍は殆ど浮力を持たない有翼潜航艇のため着岸は相当難しいようです。


一回で桟橋に接岸してなければ・・固定しなければ…ブクブクと着底します。


・・止まったらコケル自転車のような危険な艇です・・・
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性能は下回っても甲標的(蛟龍)の方が好まれたのは艇体の浮力の関係だと思います。
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現に『蛟龍』はガダルカナルやフィリッピンの沿岸基地から数回の出撃実績があります。


 『蛟龍』に比べて『海龍』の接岸は飛行機の着陸と同じような危険なものです。
接岸という操舵ですが・・・


松阪港で掃海艇が訓練をしていました。


掃海作業は唯の作業ではありません、常に危険と向き合う命懸けの作業です。


よく不発爆弾の処理に陸上自衛隊の作業のニュースがありますが、それ以上に危険な作業です。


その地味で目立たない命懸けの掃海艇が松阪港で岸壁のクッション材にほんの少し擦っただけなのに・・・・ある、馬鹿地方夕刊紙にこんな記事が!!

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 接岸離岸するときには普通にあることです、だから岸壁にクッション材がはってあるのです、事故ではありません!!


浮力の無い『海龍』では緩く桟橋にぶつけて、桟橋から素早くもやいを掛けて貰います。


これが普通の接岸状態!・・


某夕刊紙なら突撃隊の海龍部隊の訓練艇全てが事故かぁ――。


 新聞記事かいた人に言いますが(怒って)  海上自衛隊の掃海作業に      真摯に感謝しなさい。


『海龍』から最近の掃海艇の事になってしまいました、ゴメン。

        終戦後の『蛟龍』
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鳥羽に配置する前に終戦となりました。とりあえず若い優秀な人達が戦死しなくて良かったのでしょう。
                         おわり



4月7日の英霊

昭和20年4月7日
戦艦大和が沈みました。
慰霊祭で生存者の<広・ひろ>と言う方の言葉・・・
『あの時死んでいった人達が居るから今の自分達が居ることを忘れない』
一緒に沈んだ『栂・つが』などの勇士も同じでしょうね。
かろうじて満身創痍で帰還した『涼月』は防波堤となって今も国を守っています。

またこの日。4月7日に、我が地出身の辻本馨少尉は故郷の上空でB29に体当たりして散華しました。
いつも『大和』の報道に隠れてしまいますが・・・飛行第5戦隊の「屠龍」で、後部通信士は加藤政之伍長

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第二期・陸軍特別操縦見習い士官学校の少尉
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「特操」に志願する前・・花岡国民学校で教鞭を取って居た時代の少尉
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今現在の クソ以下 の「日狂組」とは違う立派な教育者です。
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この日、隊長の伊藤藤太郎中尉が帰らない辻本機を心配していると
津市高茶屋の高射砲隊から
『味方小型双発機・B29に体当たり、双方海上に墜落』 と連絡があった、
地上の兵も住民も見て居る上空の散華でした。

( B29は・フランク・クロウクロウド大尉機で乗員11名全員戦死 )

このほかにも・・4月7日に戦没された無数の方が見えます。 黙祷

もう一度、広さんの言葉 
『あの時死んでいった人達が居るから今の自分達が居ることを忘れない』



ワレニ追イツク敵機無し・2

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少し前ですが鹿屋から偵察に飛び立つ『彩雲』の事を書きましたが・・・

その後遺症??模型を作りたくなり 20分の1 のソリッドモデルに挑戦。
材料は奥方が職場からゴミとして大量にもらってきた、前年度の余ったバインダーです。

分厚いバインダーは紙ですが木製より相当重くなりました。
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そして・・着色して乾燥
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ついでに以前作ってあった97艦上攻撃機も着色して乾燥。
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写真を撮っていると野良猫が出現!!
まさに、グラマンワイルドキャットの出現?
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座り込んで・・しまいました・・・陽気のせいでしょうか、
触られるとアカンので私も離れられません。
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完全に なごんで います。
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我が忠実な番犬は・・と見ると! 寝てます❣完熟睡眠!
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飼い主と同じアホちゃんです。


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明日(早朝)から2~3日 山へ仕事に行きます・・本当は山中放浪≪笑い≫
ついでに我が家の アホ犬とワガママ猫を別ブログ・marugaripeou・で見て下さい。
見れば完璧アホになりますよ。

山中逃亡


山中逃亡/彷徨
    戦果なく戻りました。
                    私の武器はこれです
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バイクに積んでいる 超小型の渓流竿

ぼろジムニーに積んでいる普通の渓流竿と
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この二刀流ですが…惨敗/完敗

いつも持っていた「熊撃退スプレー」が無くなってやや不安が原因!
と勝手に決めてます・・が、本当は技術不足ですが・・・。

いつも一緒に山中放浪の友人が去年11月に亡くなって、以後パッとした獲物無しです。
・・・と言うことは私一人では渓の魚も無理と自覚・・・・

この小学校からの友人とよく山歩きをしました。
その時の死体見つけた話や 不思議な話を近いうち書きます。

ただこの友人といつも呑んで話していたのは

『あの世てホンマにあるのかな、もしあれば先に死んだ者(4人いる)が
一週間ぐらいの間に出て知らせようぜ』

と言っていたのですが、もう半年近くなっても出てきません。
後の2人の所にも出てきません。やはり!あの世は無いようです。

岩名の《骨酒》 呑む用意してたのですが・・・
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こんなわけで数日間のニュースが欠落したオッサンです。

ちなみに、こんな綺麗な妖怪さんも雪女さんも居なかった、残念。
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特務艦・南極観測船『宗谷』


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           幸運な軍艦 『宗谷』


駆逐艦『雪風』と共に帝国海軍の幸運な艦として有名です。


幸運と言うのは『運』の良さがありますが・・乗員の心身の練度の高さもあります。

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『宗谷』は今も記念艦(船)として残っています。


戦後の観測船『宗谷』の松本船長は補給艦『宗谷』当時の航海長でした。


敵潜の命中魚雷が不発でした、甲板に引き上げた不発魚雷の信管を抜く作業の指揮をしたのも航海長時代の松本船長です。
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 幸運と共に冷静な人だったのは間違いありません。


その冷静沈着な松本船長や乗組員(殆どが海軍経験者)が見た不思議なもの
     ( この想像図はさすがにアテになりませんが・・・)
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 いわゆる ≪ 南極ゴジラ ≫ !!


写真はありません。昭和30年頃はカメラは限られた人しか持って居なかった時代です。


今ならケータイ・スマホで画像も動画も撮れたのですが。


 今の人に、この時の≪南極ゴジラ≫を話しても・・ほぼ馬鹿にされてしまいます。

書物でも≪南極ゴジラ≫ に詳しい書物は『UMA』程度の・・やや怪しげな書物だけになってしまいました。


 

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 今、これを書くのは先日孫に話したら

  「爺ちゃんそれはSF本の読み過ぎだよ」と笑われました。


・・・本当に松本船長さん達が見たのになぁ~~~・・・・


 南極観測船の食糧のコピーです。 南極ゴジラは信じて貰えなくてもこれは信じるでしょう。
  第一回観測隊 一日の食事費用が5~600円の時代です
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私は『宗谷』が好きで海軍特務艦時代と南極観測船時代の模型をつくってあります。


それが・・・冬休み夏休みに来る孫の玩具になってボロボロに壊されて何度も修理して・・


先日、ようやく修理終えてピアノの上に置いていたのですが・・・


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 強敵の襲来です。
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我が家にも≪南極ゴジラ≫が居ました。


修理したマスト・クレーン・ヘリコプター・ボートが破壊されています。


幸運の『宗谷』も我が家では天敵だらけで・・・さすがに修理する気力消滅です。
 帝国海軍の幸運の艦も我が家では 『ビー♀』の為に安泰では無かった。    
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巌流島の決闘

413


今から403年まえですが慶長17年の出来事・・513日説もあります。


歴史に詳しい方ならほとんど知って居る《巌流島》の戦いです。
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宮本武蔵と佐々木厳流小次郎の戦いです。


二刀流と長太刀の・・今風に言えば『異種競技』です。


小次郎は十分に対二刀の戦術を考えて居たと思います。


 
( 武器は長い方が有利なのは明白です、今でも・・ルール無視の場合
  ですが・・
  剣道の達人でも中級程度の長槍や薙刀を持った相手に簡単にやられ
  ます、大艦巨砲主義に似てます )


 


予想に反して武蔵は小次郎の長太刀より更に長い棒を振り回して・・


早い話が小次郎は ≪射程外≫ からの一撃で終了です。
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戦のない元禄時代の武士道の剣術では卑怯なやり方だ! となりますが


戦国時代の末期の剣術では『奇襲で一瞬に撃ち倒す』のが生き残る普通の戦法です。


 


ところで・・武蔵や二刀流礼賛者には怒られそうですが、


刀は何本持っても射程距離は1メートル以内です。射程3メートルの槍・薙刀には勝てないと武蔵はしっていたのです。


この長い物には弱いという真意は武蔵の『二天一流』にはありません、


それは武蔵が死ぬまで武芸者として秘伝を明かさなかったのでしょう。
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三船敏郎の武蔵
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ただ二刀流の有利なのは左右のどちらに長い方を持つかは個人によって違うので一刀流は『見極めにくい』と避けて居たと言います。


また抜刀術(居合抜きではありません)の達人は『二刀流には刃向うな』と教えた記録があります。
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 と生意気な書きましたが全て無責任な自己流の暴説とお許し下さい。

          私の好きな日本美人です
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広島湾・4月15日の慰霊(1)


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             佐久間艇長


毎年、4月15日に鎮魂と感謝を込めて。


明治45年のあの日、第一潜水艇隊の母艇『歴山丸』から長谷川中尉・原山機関中尉が6号艇に乗艇してガソリン潜航実験に0930に『歴山丸』の横付けから離脱し出航・・・・


これが第六潜水艇の最後となった。


・・・毎年4月15日に載せて居るので重複が多いのでゴメン・・


この日、普通12名の実験訓練のところ14名となった、その二名の方の心境は・・・
長谷川中尉と原山機関中尉は幸運にも兄弟戦友以上の同僚の人と一緒に殉じて・・
それとも、不幸にも艇長以下12名と同乗して殉職してしまった・・・・


今現在の人間には分かりませんが、
    明治日本の海軍軍人は前者だと確信しています。
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 遭難、そして417日引き揚げ作業と調査に参加した倉賀野明中尉
艇長と同じ福井出身であり殉職した長谷川芳太郎中尉の海兵33期の同期


涙ながらの調査中、海水で濡れてほとんど破棄される寸前の、粗末な2冊の手帳を・・もしかしたら几帳面な佐久間大尉の最後の、と思い開いてみる、1・2ページは白紙、その次にはあの立派な貴重な遺書が・・
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 佐久間艇長の遺書は以下の通りですが・・己の事は何一つ無く・・・


晩婚であった佐久間大尉には前年に生まれた幼女の事、出産時に亡くなった妻の事など私事は無い・・陛下への謝罪、遭難経過と部下の事のみが書かれていた。


     明治43年の世界中を感嘆させた佐久間艇長の残した遺書・・・


佐久間艇長遺書
   小官ノ不注意ニヨリ
   陛下ノ艇ヲ沈メ
   部下ヲ殺ス、
   誠ニ申訳無シ、
サレド艇員一同、
死ニ至ルマデ
皆ヨクソノ職ヲ守リ
沈着ニ事ヲ処セリ、
我レ等ハ国家ノ為メ
職ニタオレシト雖モ
唯々遺憾トスル所ハ
天下ノ士ハ
之ヲ誤リ以テ
将来潜水艇ノ発展ニ
打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ
憂フルニアリ、
希クハ諸君益々勉励以テ
此ノ誤解ナク
将来潜水艇ノ発展研究ニ
全力ヲ尽クサレン事ヲサスレバ
我レ等一モ
遺憾トスル所ナシ、

    沈没ノ原因
    瓦素林潜航ノ際
    過度深入セシ為メ
    「スルイスバルブ」ヲ
    締メントセシモ
    途中「チエン」キレ
    依テ手ニテ之ヲシメタルモ
    後レ後部ニ満水(セリ)
    約廿五度ノ傾斜ニテ沈降セリ、


 沈据後ノ状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤ツカリタル為メ電燈消エ、
  電纜燃エ 悪瓦斯ヲ発生
  呼吸ニ困難ヲ感ゼリ、
  十四日午前十時頃沈没ス、
  此ノ悪瓦斯ノ下ニ
  手動ポンプニテ排水ニ力ム、
一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ、
  燈消エ ゲーヂ見エザレドモ
  「メンタンク」ハ
  排水シ終レルモノト認ム、
  電流ハ全ク使用スル能ハズ、
  電液ハ溢ルモ少々、
  海水ハ入ラズ
  「クロリン」ガス発生セズ、
  残気ハ五〇〇ポンド位ナリ、
  唯々頼ム所ハ手働ポンプアルノミ、
  「ツリム」ハ安全ノ為メ
  ヨビ浮量六〇〇(モーターノトキハ
  二〇〇位)トセリ、
  (右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)
  溢入ノ水ニ浸サレ
  乗員大部衣湿フ寒冷ヲ感ズ、
  余ハ常ニ潜水艇員ハ
  沈着細心ノ注意ヲ要スルト共ニ
  大胆ニ行動セザレバ
  ソノ発展ヲ望ム可カラズ、
  細心ノ余リ
  畏縮セザラン事ヲ戒メタリ、
  世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ
  或ハ嘲笑スルモノアラン、
  サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス、
一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ、
  排水ニ勉メドモ
  十二時迄ハ底止シテ動カズ、
  此ノ辺深度ハ十尋位ナレバ
  正シキモノナラン、
一、潜水艇員士卒ハ
  抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス、
  カカルトキニ困ル故、
  幸ニ本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽クセリ、
  満足ニ思フ、
  我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ
  死ヲ期ス、サレバ
  遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出ノ中ニアリ
  (之レ但私事ニ関スル事言フ必要ナシ、
  田口浅見兄ヨ之レヲ愚父ニ致サレヨ)



広島湾・4月15日の慰霊(2)

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公遺言
 謹ンデ
陛下 ニ白ス、
 我部下ノ遺族ヲシテ
 窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ、
 我ガ念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ、
 左ノ諸君ニ宜敷、(順序不順)
 一、斎藤大臣 一、島村中将
 一、藤井中将 一、名和少将
 一、山下少将 一、成田少将
 (気圧高マリ鼓マクヲ破ラルル如キ感アリ)
 一、小栗大佐 一、井出大佐
 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(竜)
 一、松村少佐(菊)(小生ノ兄ナリ)
 一、舟越大佐、 一、成田鋼太郎先生
 一、生田小金次先生、
十二時三十分呼吸非常ニクルシイ
瓦素林ヲブローアウトセシシ積リナレドモ、
ガソリンニヨウタ
 一、中野大佐、
 十二時四十分ナリ、

 
大尉は最後まで生まれて直ぐに母を亡くし、今父も死んでいくにも関わらず愛児輝子さんに触れることなく・・・・その大尉の心情を思うと、読むたびに涙が零れます。





海軍大尉 佐久間 勉


海軍中尉 長谷川 芳太郎


海軍機関中尉 原山 政太郎


海軍上等兵曹 門田 勘一


海軍上等機関兵曹 鈴木 新六


海軍一等兵曹 浴山 馬槌


海軍一等機関兵曹 岡田 権治


海軍二等兵曹 堤 重太郎


海軍二等機関兵曹 山本 八十助


海軍二等機関兵曹 檜皮 徳之助


海軍三等兵曹 吉原 伸二


海軍三等機関兵曹 河野 勘一


海軍三等機関兵曹 福原 光太郎


海軍一等水兵 遠藤 徳太郎


 


   上の14忠志に感謝いたします。


415日は『佐久間勉』海軍大尉以下14名の第6潜水艇の遭難の日です。


明治43年の世界中を感嘆させた佐久間艇長の残した遺書など・・・


『花房 元顕』と言う方の詳細な状況図の転載です


 無断で「花房元顕」様の図面を転載しました、お許し下さい。






虚構の男/勝海舟



勝海舟・弱い者にだけ強い!究極の虚構男

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勝海舟とは、歴史ドラマでは無茶苦茶に良い人物になっています。


それが不思議でなりません。
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一度でも「咸臨丸」の航海記等を読んだ人には何故???と思ってます。


幕末のドサクサにハッタリと法螺で出世した典型的な人間の勝海舟。

    昭和60年から平成22年の出版物、(極一部です)
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・・咸臨丸の僅か94名の乗員の信頼は全く無く、当然指揮もとれず、船酔以上の失態を演じていた、


航行中に自室に閉じこもってすねたり怒ったり、挙句に太平洋の真ん中で「ボートを降ろせ、俺は一人で江戸に帰る」と水夫に命じた、いわゆるバッテラー事件、


 


数学の出来ない勝は航海術は全く出来ずに


測量方、今の航海士の小野友五郎・浜口興右衛門・通訳の中浜万次郎が実際の操船をした、とキャプテン・ブルックが残している。


長崎の海軍伝習生の時に全く勉強せずに「梶くま」と言う未亡人と5年間同棲して二人の子供を作るだけで航海術は学ばなかった好色破廉恥な男、


当時既に40歳を越えて居た小野友次郎等が寮に入って必死に航海術を学んでいた時に勝は自宅でH三昧、単なるスケベな青年。


 


咸臨丸が日本に戻ってからの勝はキャプテン・ブルックや乗組員が小野友五郎を賞賛すると強烈な虚栄心と嫉妬で鳥羽伏見の策謀者は小野友五郎だと捏造して入獄までさせた・・


 


文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸』では


≪細心(気が小さい意味)で剛毅をてらい、名誉心に焦がれ、反対者を感服又は懐柔する手腕を有し、筆に口に宣伝する・・木村摂津守が尊敬されているのが不満で・・云々≫


 


福沢諭吉『やせ我慢の説』


≪勝海舟の人物とは、一時の豪気は弱い物を怖がらせるのみで、一場の詭言は少年の心は騙せるが君子は騙せなかった・・


咸臨丸の最高指揮官の木村摂津守に従わずダダを言って最後まで自室から出てこなかったのは給与の不満が原因と言われている、勝の航海手当が木村の3分の1に憤懣していた。


勝は金銭に異常にこだわる人物だった≫


 


また『サンフランシスコ航海の真相』


≪弱い者には一喝して自分を優位に立たせ主導権を握って屈服させる凄味、反面強い相手には巧言と懐柔で持ち上げて成り上がる≫


 


この勝海舟の所業を知って居た明治の海軍からは当然ながら無視、と言うより唾棄されていた。


 


尚、小野友五郎は明治政府の鉄道事業に技術者としての能力を買われて民部省測量方として『日本中の技師長として鉄道測量の司となった』


工部省鉄道人脈に小野広胖(旧・友五郎)と残って居る。


(明治22年幕末の海軍建設、拡充の功労者として贈位が申請された)


 


反して、化けの皮が剥がされた勝海舟は明治政府から外されて・・・


幕末の闇で蓄えた巨額の蓄財で生活は裕福であったが・・


子供、孫の不祥事で更に歴史の表から隠れていった。


 


このような勝が明治中期から何故賞賛され虚構の歴史になったかは多分、日露戦争の海軍の宣伝材料に咸臨丸が使われたからだ・・と言われている。


咸臨丸の最高指揮官の木村摂津守は旧幕臣なので、ナンバー2の、幕臣で無く祖父が御家人株を買った金貸し業の町人の勝が客寄せパンダとして利用されたとの事です。
         晩年のこの男の写真です、彰義隊が上野に籠った
         頃に江戸の町の土地を二束三文で買いまわって巨額の
         富を得た元祖田中角栄と噂されて居ます(笑い)
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近代史の書物には普通に書いてあるのですが、未だにドラマでは虚構の勝海舟が実象のように登場するのか?・・多分、歴史作家も脚本家もアホなのでしょう。

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時速600を超えた・・

運転手が居ない乗り物って道路交通法では…道路ではないか!
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今日、リニアモーターカーが600キロを超えたぁ――-と言うてます。
ジェット機が1000キロで飛ぶ時代に・・早いの?早く無いの?

どっちでもいいことです。
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               今更・・俺のライフスタイル変わりませんよ!

私は時速600キロを超えた!!という語呂で昭和15~6年頃の日本陸軍の
戦闘機で最初に605キロを達成した『二式単座戦闘機・鍾馗』しか浮かびません。
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、昭和のこの当時の時速600キロとは・・・実用の戦闘機では『二式単戦』と『四式戦・疾風』だけです。
海軍では『局地戦闘機・雷電』のみ。

戦前の600キロには興味も感動もありますが、線路の上を浮いて滑るだけの長い鉄の蛇でしょう。
そのうえ、何人も人間を腹に呑み込んで走る鉄蛇・・・・。

その不細工な鉄蛇に比べて『二式単戦』の姿は素晴らしい!
ハ109のデカイ発動機を頭につけて直ぐ後ろの胴体細く絞ってある、中島飛行機の空気力学の結晶の機体。
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・・・と詳しく書き出すとアカンから止めますが、

テレビニュースが600・600・と騒いでいるので『二式単戦』
の時速600キロを超えた最初の戦闘機という本を思い出して・…スンマセン,おしまい。

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帝国海軍の『間宮羊羹』

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《 間宮羊羹 》


帝国海軍の『間宮・まみや』給糧艦・・・


今の海上自衛隊の補給艦『とわだ』のような、水兵さんには嬉しい軍艦です。

第一線の戦闘艦ではありませんが海軍の将兵の最も喜ぶ艦でした。

陸軍の『輜重輸卒』と同じように軽視しつつも最も重要な・・兵隊さんの最も喜ぶ艦です。


食糧品を運ぶだけでなく、艦内でパン・豆腐・ラムネ・アイスクリーム・さらに栗饅頭や羊羹まで作って居ます。


特に最高品質の羊羹は『間宮羊羹』といって『虎やの羊羹』に匹敵する美味さと、それ以上に喜ばれた大きさがあったそうです。


虎屋の羊羹の倍の大きさだったと言います。

その理由は帝国海軍さんは市販より上質の小豆と砂糖を使い、

『間宮』には本職の菓子職人が載って居たのです。


 『間宮』15800トン乗員370名の内200名の職人さん(傭人)が居たのです。


戦前の海軍に居た人は『間宮羊羹』と聞くと羊羹は元より補給される豆腐やラムネも浮かぶほどの嬉しい軍艦『間宮』だったそうです。


 

このあたりの体験を話す元・海軍軍人は・・・

特に元・陸軍だった人に・・・「俺ら海軍は食い物が良かった!」

と自慢していました。

「いくら食い物良くても沈んだら海の底、即・英霊より土の上の方   が・・・」

と元・陸軍さんが、やせ我慢?自嘲していたとの事です。


 

この『間宮羊羹』ですが! 今では復刻版が出て居ました!!

アルミ薄だけの銀色一色の『間宮羊羹』とは似ても似つかない可愛いお姉さんの包装に進化?退化?したようです。
食べた事ないので味は分かりませんが・・・多分、採算無視の海軍用の方が贅沢な材料で美味かったのでは、と想像します・想像だけです。
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 ネット見てたら、沢山『間宮』のサイトまでありました。

あまり~知られて居ない~と思ったら最近は『間宮』は有名になってました!

それも!若いお姉さんに人気があるそうです・・・おっさんには不思議ですなー。


 綺麗な、包装箱に入って、可愛いお姉さんのアニメまで・・・マイッタ。


本来の包装、アルミ紙の上下を蝋で密閉しただけの無印刷銀色紙の原型は全くありません・・・

驚くのは、

『江田島羊羹』まで復刻してます!!! さすが海軍魂!!海軍騙し??。
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もっとも、海軍カレーは陸・海・空の自衛隊でも有名で美味そうです。
艦や部隊の独特の味を誇って・・精神力と同じ位食欲も必要な戦力です。

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給糧艦・間宮・に感謝。

山中迷走

金曜日は天気最高で・・・
久しぶりの ≪オッサン・ライダー≫ で山中・林道を走りました。

ところが・・林道の周り、入口の鹿や猪除けのフェンスが張り巡らされていて・・・。
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これでは・・・鹿除けと言うより オッサ除けのフェンス?

仕方なく予定変更して違う山道を・・
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それでも又フェンスだらけ!

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おまけに・・こんな山奥にまで盗難除けのチェーンです。

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我が、山中の棲家も嫌なことが多くなりました。

山中のカーブで自撮り・・ボロボロのオッサンです。
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ブツブツ言いながら山中で一日、命の洗濯でした。

お口直しに美女を見て下さい。
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二式単座戦闘機模型

ここ数日は≪自宅警備員≫から≪自宅作業員≫として奥方に強制労働させられていました。
   強制労働の内容は ヤフーブログ・marugaripepu (マルガリペプ)で見て下さい(涙)

弱い、名前だけの亭主の現状で・・・今日は何もせずにダラーっと一日を過ごした・・まあ・平和な一日でした。

何となく、少し前にアップした「リニアモーターカー」のとき出した「二式単戦」
再掲です
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この二式単戦は私の好きな飛行機で、同じく好きな一式戦と共に
20分の1・模型を作りました。

それを思い出して物置に入って確認・・・何とか健在でしたが胴体も翼もホコリが白く積もってます。
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未塗装で放置の4式戦もホコリが積ってます。
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こちらも同じくホコリだらけ・・・
手前と右は一式戦

何をしても結局中途半端で終わってしまうのは・・私自身が未完成な性格で仕方ありません。

結局、物置の掃除をする予定でしたが・・・ホコリを見て撤退。
いつも通りの 「不名誉な撤退」 で物置掃除は又の日に・・・

昔の雑誌の写真  中島飛行機工場で製作中の二式単戦と説明を受ける旧制中学生の勤労学徒
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この人達に比べると・・・恥ずかしい困ったオッサンです。

とりあえず・・綺麗なお姉さんの夢を見ようと・・・昼寝・・・・
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夢の中でも、美女は出てきません。

米国での安倍首相


今日のイメージ!!単身敵地を偵察する捜索連隊の兵士!!

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米議会での阿部首相の講演、まさに良好な演説です。

バカの多い米国民に『反省』という程度の言葉は今の国際状況では止むおえないのでしょう。
本当の事、事実は米英などの『ABCライン』の罠に乗ってしまった、当時の日本外交の失敗を『反省』と
言わずに、只々『反省』だけにしたのは、米国やその他の国に花を持たせる、柔らかい講演でしょう。

これをウダウダという極一部の米議員は朝鮮系の2世3世・・・・例の慰安婦銅像を建てるアホ達・・・

半島国家は想定どおりに ≪謝罪が無い・・≫ と喚き出してますが、
言えば言うほど国際常識の欠落国家と世界中が笑っているのも知らずに・・・・。
この国は後百年千年先でも「謝罪して金出せ」を言い続ける・・・支那の属国になっても・・・アホ国家です。

もっとも許せないのは日本のマスコミが南朝鮮の外交官の発言をデカデカと取り上げるから一部の、
日狂組や官公労などが共鳴してしまう!
こいつら!俺たち日本人の税金で雇われながら日本を滅ぼそうとしてる、
自分の足元の砂を掘っていることも知らないバカ珍組合。

しかし(喜) ようやく日本の政府も正しい事を言い出せるようになりました。

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今日のイメージⅡ!!世界でただ一人、米国本土を二度爆撃した藤田海軍中尉(爆撃時飛行兵曹長)
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今日は好い一日でした。

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スイカ・SUICA・・誰何?



帰省中の娘達が「スイカ・スイカ」と言って居るので
「なんでお前たちが誰何の事を話してるのかぁ~」
と聞くと!!
「スイカ」とはJRの何とかシステムの定期券のような物だと分かりました。
他にもトイカ・イコカ・オレカが国鉄で、マナカ・パスモなど私鉄・地下鉄もあるようです。

今の情況は全く・・魑魅魍魎の言葉に溢れています。


正しいスイカと言えば私の世代は『誰何』


 
帝国陸軍(海軍も同じと思うが)の歩哨の任務で


「誰カト三回誰何(すいか)シテ答エナイ者ハ、射殺スル」


詳しくは作戦要務令の歩哨一般守則でみると。
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作戦要務令第1


第二百三十一 歩哨線に在る歩哨は左の一般守則に基き行動すべきものとす
一、・・・・
二、歩哨線の出入りを許すは我が軍の部隊、将校、斥候、巡察、伝令とし爾余の者に関しては小哨長の指示を受く夜間近づく者あらば銃を構えて良く確かめ彼我判明せざるときは機先を制して 「誰か」と呼ぶ三回呼ぶも答えなければ殺す か又は捕獲すべし
自動車は停止せしめて取調ぶべし
歩哨の命に反する者は殺す か又は捕獲すべし 
・・・・原文はカタカナ書き・・・・・
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 自衛隊でも


歩哨が出入りを許す者は、味方の部隊、幹部、斥候、巡察、伝令として、その他の者については前哨長の指示を受ける。近づく者には銃を構えて確かめ、彼我不明の時は誰何(すいか)する。3度誰何しても答えない者は、捕獲するか、刺・射殺する。車両は停止させて取り調べる。


・・・と帝国陸軍の『作戦要務令第一部』とほぼ同じです。
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  作戦要務令の第一部・第二部・第三部
 
早い話が、スイカとは怖い怖い熟語です!むやみやたらに使ってはアカン「誰何・スイカ」!
     作戦要務令の中・青い線です。
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戦地糧食とカッパエビセン


カルビー製菓の「かっぱえびせん」の過去から続く栄光の話。
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 ≪カッパエビセン≫と言えば・・あの海老の入ったお菓子と言うよりビールや酒に合うオッサンにも嬉しいお菓子・・・と思って居たら実は凄い会社なのです、舞台は大東亜戦争のころです。

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このカルビー製菓に 専務・砂見勲と言う方がみえました。


戦時中昭和18年頃ですが広島宇品の陸軍糧秣廠の食糧技師として戦地食糧の開発をしていました。


当時のガダルカナル島・餓島・への特殊な食糧と輸送の容器について研究実験をしてみえた方です。


 


当時制空権も制海権もなくした『餓島』への輸送は駆逐艦でドラム缶に食糧を積めて深夜に沖に流す・・いわゆる『ドラム缶輸送』『ネズミ輸送』というささやかなものでした。
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米軍はこの駆逐艦輸送を『東京急行』と言って警戒が厳しくなりました。


次に潜水艦による『モグラ輸送』です。


これも米軍の包囲下で優秀な潜水艦隊が魚雷を撃つことなく壊滅してしまいました。
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その次は大発艇による『蟻輸送』でした。


 損害が多くても、極ささやかな糧食を送り続けたのですがドラム缶では発見されて魚雷艇の機銃掃射で90㌫は海中に消えました。


 次に運貨筒というゴム袋に入れた特殊食糧を潜水艦で流しました。


この海軍の運貨筒と言う容器と食糧を開発したのが当時、広島にあった松尾糧食という会社と砂見技師でした。


『松尾糧食』が戦後の『カルビー製菓』なのです。


飢餓島と言われたダルカナルから幸運にも生還した方達には忘れられないゴム袋の糧食の子孫が『カッパエビセン』なのです。


 


運貨筒・・・セメント袋のような白っぽいゴムです、その中にも防水の薄緑のゴム袋があります。


その中に64個の防水された弁当箱大の圧搾口糧の包みと
キャラメル箱大の紙箱に碁石のような緑色の甘い菓子が入っていました。


圧搾口糧とは、麦を膨らませたものを強く圧縮して麻雀牌大に固めて綺麗に詰まっていて、灰色で水や湯で簡単に粥状になって餓えた兵士に食べれるように考えられていた。


ただし、味は全く付いていない。


同じ包みの中に白(塩、)黄(魚粉)赤(梅肉の圧縮したもの)が一枚ずつ入っていた。


当時これを食べた人(幸運に生きて還れた人)の記録では


「病人食のようで満腹になるほど食べたいと思わなかった」そうです。


この糧食の研究された結果の凄さです。


飢餓状態で居た人は食欲が急に蘇って食い過ぎると畏縮した胃袋が突然膨らんで死んでしまう・・・それを防ぐのです。


 この運貨筒は海軍の名称で開発した陸軍の名称は不明です。


私は写真も見たことないので想像するだけです・・・セメント袋のようなゴム袋で想像するだけです。

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これを思いながらカルビーでビールを飲む私は不遜と思いつつも『松尾糧食・カルビー製菓』さんに感謝しています。

         これは違う!食べれないカッパです
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色河童と言います


 


陸軍の水上機

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中島飛行機の水上機


どういう訳か中島飛行機の水上機は知る人が少ないようです。


 有名な海軍の『二式水上戦闘機』は単なる『零戦11型』にフロートを付けただけ!!
と思われていますが・・


製作したのは中島飛行機です、零戦の機体を水上機用に設計改造しています。


零戦のエンジンは元から中島製です。


それに零戦の生産数は三菱より中島の方が多い・・と言う事は零戦自体ほぼ中島製です。


 


実は中島飛行機は水上機製作の豊富な実績がある水上機の名門です。


90式水上偵察機
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95式水上偵察機・・・空戦性能も96艦戦なみに持った水貞でした。
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そして本題です


陸軍も上陸作戦の地上援護に97戦闘機にフロートを付けて・・・中島飛行機は実績も経験も豊富で95水貞の浮舟を改良して試作した(モックアップのみ 説もある)。


実用には陸軍の操縦士は水上機の訓練を初期からする時間的余裕が無く、この問題で話が終わったということです。


 
ただし、この話はかなり昔に『敵前上陸』の本で読んだのですが・・今だに詳細どころか真意も不明で資料には全くありません。


 
ただ陸軍航空隊は色んなチャレンジをする癖があるようです。


豪雪地用に雪上機実験をしていました、一式戦・三式戦・四式戦に雪橇をつけて満州や北海道の丘珠航空隊で試験飛行をしていました。


水上機と雪上機は共によく似た操縦技術がいるそうです、雪上機の操縦が出来れば水上機も可能だったと思います。


現に南極観測隊の初期にはビーバー機にフロートを付けて水上から離発着したり、橇をつけて雪上から離発着しています(操縦は多分海軍航空隊出身だったと思いますが・・)


 
( 海軍では雪上機は考えて無く積雪の滑走路を固く圧着して通常の車輪で 
  離発着しています。


滑走路の圧着は翼を外した旧式練習機に板のような重い物をつけて滑走?させていたのです。
  これは運転が面白くて北海道では戦闘機の操縦士が順番待ちで運転した 
  そうです )


実際に試作されたのか不明ですが97戦の水上機型の模型です。
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もし、本当にあったのなら日本帝国の水上戦闘機は陸軍だったことになります。
二式水上戦闘機・水上戦闘機『強風』の先祖は97戦だったかも分かりません。
資料が見つからないので信憑性に欠けますが・・・まさに≪幻の水戦≫です。


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