「しゅ榴弾」「て榴弾」?正解の無い、読み方の色々です。
松阪市には「松阪牛」と言うのがあります、
「まつさかうし」?「まつさかぎゅう」?
どっちでも良いことですが、もし学校のテストに出たら・・・
どちらかを正解でどちらかを不正解に・・・テストに出すアホは居ませんが。
このような、どちらも読み方に正否の無い日本語が有ります。
このどっちでも良い読み方の一つですが、
『手榴弾』の読み方、『しゅりゅうだん』? 『てりゅうだん』?
どっちも正しいようですが自衛隊では『しゅりゅうだん』らしいと聞きました。
私は子供のころから聴いていたのは『て榴弾』でした。
特に支那事変やシベリア出兵の時の爺さん達(当時・昭和30年頃)の話では『て榴弾』が殆どでした。
大人になってから聞くのは『しゅ榴弾』がほとんどです。
この読み方の違いを厳格な帝国陸軍がなぜ統一しなかったの?
このどうでも良い事を馬鹿の一念で色々と調べて・・多分そうだろう、という答えが分かりました。
「て榴弾」と呼び方は日露・シベリア出兵・第一次上海事変の頃までは将校
下士官兵まで普通に言って居たようです。
初めは『手投げ爆弾』『投擲爆弾』と言う戦場での急造の爆弾の事で正 式な兵器が出来る前からの呼称だった。
シベリア出兵の頃にようやく正式な手投げ爆弾が送られて来たが、長さ一尺の棕櫚縄が付いていて、それを持って振り回して投げる・・と言うしろもので ≪手で振り回して投げる≫所から『手投げ弾』『手投げ榴弾』と言われた、その延長で「て榴弾」と呼ばれるようになった。(らしい・・)。
この時代の古い将校や下士官が後に配属将校・下士として学校教練で『て榴弾』と教えたので、教えられた旧制中学以上の予備幹部候補生出身者がそれぞれの連隊で初年兵教育をしたので、教えられた兵隊は此の『て榴弾』の言方をしていた・・・と、言う事です。
『しゅ榴弾』の言い方は支那事変中期ころの士官学校出の正規将校が当然最
初の正式兵器の呼称である『91式曳火しゅ榴弾』と教えたと思われる、そ
の結果が二種類の読み方、呼称のままで終戦まで使われたそうです。
( 確たる説では無いので、もし違う説が有れば御教え下さい )
・・と言う、かなり面白く無い、どうでも良い話でした、スンマセン。
自衛隊型の玩具です
尚、今の自衛隊では『しゅ榴弾』だけの読み方と思いますが・・?
本題に関係ありませんが・・終戦間際の陶器手榴弾・発掘品で劣化しています。