飛行兵の食事、戦闘機乗りですが、
ある日の・・陸軍飛行第五戦隊のビルマで、昭和17年頃の飛行場ピストでの朝食の内容は
粉味噌汁とパパイヤの漬物、アヒルの卵焼き、それだけです。
「おいしくは無いが不味くもない、それは連日の空戦の疲労で食器に一杯食べるのが精いっぱいだった」
陸軍には海軍のようにふんだんに缶詰がなかったようです。
ただ、『航空元気酒』『疲労回復酒』『航空葡萄酒』という航空飲料を呑んでいたようです。
戦闘機隊では「元気酒」と「ブドウ酒」の二本ですがベテラン(古兵)は飲みやすい「ブドウ酒」を好んで飲むが「元気酒」の方は朝鮮人参が入っていて独特の匂いがするので古いパイロット達は飲んでくれなかった、自然と残った「元気酒」ほ、若いパイロットが呑むことになった。
『疲労回復酒』はカフェインやビタミンが入ってようですが戦闘5戦隊には無かったようです。
実際にはブドウ酒より元気酒の方が栄養分が多くて疲労回復には良く効いた。
・・・と粗末な食事なりにも、何とか栄養補給もしていたようです。
今の栄養ドリンクより少し細長い感じの胴部と口の部分まで緩く狭まる瓶でコルクの栓がしてあった、これは瓶を片手で握って、親指でコルク栓を抜ける造りになって居た・・
この瓶を二本ポケットに入れて一式戦に搭乗するのが日常だったそうです。
爆撃機では昭和18年の補給が途絶え始めたころ、
航空機内の昼食は『握り飯に目指し二本、タクアン二切れ』のみですが第18師団長を輸送するときの司令官・中将の機内での持参していた昼食が粗末過ぎて、搭乗員は自分達の『握り飯・めざし・タクアン』を出せなかった、そうです。
航空兵は食事に恵まれていたと言われるのは、他の兵科の食事が極端に粗末だったから言われただけです、飛行兵の弁当も同じように『極貧糧食』に過ぎません。
粗末な食べ物で奮闘していた勇士・英霊に感謝します。
欧米なら新兵でもレーションというバランス栄養食が“最低の給与”とされていたのです。
何世紀も戦争で侵略していた欧米と比べれば鎖国の島国を少し過ぎただけで、国外で初めて戦争した日本は“戦争・侵略後進国”だったのです。
今日は『航空糧食』と言う、「栄養ドリンク」の元祖の事を書くつもりでしたが『極貧糧食』の辛い話でした。
・・・パパイヤの漬物・・・どんな物か一度作ってみようと思って居ます。