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『紫電改』の見届・宮崎勇少尉②

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宮崎勇少尉・2   ≪写真は向かって左です≫


宮崎少尉は三度海中や海岸に不時着しても無事に帰還しています。


昭和17年11月に帰途に燃料切れでラバウルに帰れずワイド湾の海上にに着水、島に陸軍がいるのを知って居たのでノンビリと泳いで岸似向かっていた、それを見ていた陸軍兵がボートを出して迎えに来た。

ボートの上で『早く来い、早く来い』と騒いでいる、それでもノンビリと泳いでいるとボートの兵隊が『ワニじゃワニ、ワニ、早く早く』と言って居るのが聞こえた。

この湾には川が流れ込んでいた、河口付近を見るとあっちこっちでブクブクと何か動いている。それが全部ワニと分かって仰天、あわててボートに引き上げてもらった。


 昭和17年12月14日・ブナ増援部隊の船団の上空哨戒のとき、B24を攻撃中に被弾、ようやくラバウルに不時着している。


 昭和18年1月7日・ラエ輸送船団のときにP38と空戦で被弾、ラバウルに還る途中でエンジンが発火、顔面に火傷しながら海面に着水。


それから8時間、ニューブリテン島に向かって泳いだ、搭乗員用のジャケットで浮力はあるがフカのいる海である、マフラーを長く流していても顔から出血していて匂いに敏感なフカが体の横をピューピューと通り抜けて行く、恐怖の8時間の後ようやく岸にたどり着いた。


現地人に助けられて日本軍の守備隊にたどり着いた、ニューブリテン島のラバウルとは反対側にある地区だった。


三度の不時着の二度がワニとフカのいる海で無事に戻れたのが不思議な運の良さである。

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この《運》については・・


ニューギニア・ラエの飛行場で丙飛二期で同期の鎌田哲男少尉が着陸して、その直後に降りてきた同じ隊の零戦が追突して重傷を負った。

重傷のため病院船で内地に・・その途中で敵の攻撃を受けて沈んでしまった。

戦友一同は『鎌田も死んでしまったな・・・』…そして終戦・・

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宮崎さんは戦後14~5年ころ、松山で元パイロットの戦友会があり呼ばれて会場に着いた。

受付で『宮崎です』と言うと、受付の係が『えーと、宮崎さん、宮崎さん・・あれー・・・宮崎勇さん?・・ミヤさんかいな?』と顔を眺めながら『ワシよ、わしじゃが、カマダよ!』

『カマダという同期は居たが・ラバウルの方で病院船で死んだよ』

『そのカマダよ!あの病院船は陸軍さんで一杯になって、わしは次の船に乗せられて内地に還ったんじゃ』

『ワァー、確かにカマダじゃ!』


それを聞いて居た周りの戦友からいせいに拍手が起こった・・・。


鎌田少尉は内地帰還して入院後身体が完全に治らなく、赤とんぼ練習機で教官をしていたのです。
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戦後20数年あとで津田一飛曹とは再会出来なかった宮崎少尉ですが、死んだはずの丙飛二期で同期の鎌田哲男少尉に再会したのです。

≪もうアカン!≫と思って居ても運の良い人は・・・人の運不運は不思議としか言えないものです。

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参考文献写真は光人社・還って来た紫電改・宮崎勇著・ より

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