昔過ぎますが・・戦国時代の標準食です。
一日分・・二合半の三日分、七合半を三日ごとに支給する
このころの兵隊とは足軽雑兵と言う本業は百姓さんです、春と秋の農繁期には採用せずに暇な冬に・・今風に言えば『冬季派遣職員』です。
夏も農家は暇がありますが、普通一般には酷暑の夏は『戦・いくさ』はしません。
暑い夏の日差しの下で、重い木綿の衣類を何重にも着たうえに、鉄で出来た鎧兜を着けていると・・・多分!殿様から足軽まで、全員『熱中症』で動けなくなるでしょう。
数少ない例が『大阪夏の陣』ですが、これは城を包囲した戦いなので炎暑の中を行軍することがなく熱中症も心配なかった一例です。
ところでその兵隊さんの食糧は・・・
米(玄米)と味噌と塩だけの『現物支給』です。
あとはの副食物は、それぞれが食べられる生き物(蛇・ウサギ・鶏・たまに鹿やイノシシと食べられる茸・雑草・) を自分達で採集したのです。
足軽の小隊長である士分はこの自己採収も採りすぎないように監視する必要がありました、
それは沢山の副食物を食べると主食の米を“わざと”残すからです。
残した米を皆で酒にして呑んでしまう事が頻発していたようです。
簡単に戦場で酒を内緒で造れたのは・・
夜の「八つ」にホラ貝を鳴らして『朝飯くらえ~~』の合図があります、が、「夜の八つ」は今の午前2時です、
まだ真っ暗な深夜ですが当時は午後6時には寝ていたのです。
すでに「夜の七つ」に起床のホラ貝で皆さん起きて居たのです。
この「七つ」から「八つ」の二時間は暗いし暇があって密造酒を作る時間になって居たのです。
こうして米を仕込んで5日もすればドブロクに似た酒ができたのです。
自分達の米を自分達が酒にして呑むのは良いのですが!!休憩のたびに酒を飲んでしまい
酔っぱらうと・・・ただの酔っ払い集団で戦うことが出来なくなります。
当時の百姓さんは普段は米を作って居ても自分達は食べることがなかったのです、まして酒などは『冬季派遣職員』の足軽になった時だけです。
それが魅力で足軽雑兵に進んでなった!という人が多かったのです。
酒の魅力は強くて、老人は元より女性でも足軽になって居たようです。
(火縄銃の打ち手には女性が多く居たそうです)
当時の兵食の行軍注意についての資料でした。
最近は暑くて家でゴロゴロしていて・・変わった写真も撮れ無いので、
面白くもない歴史の話でスンマセン。
暑さに負けず 明日は頑張って志摩に行こう!
こんな美女に会えるかも知れないぞ―――。
出来れば・・これぐらい薄着の美女に・・。