忠臣蔵の大嘘―2
大石内蔵助はいつの間にか小説でも芝居でも忠義の鑑、武士道の塊のように描かれているが実像は前出のような色欲のみで狡猾な男であった、武士道では最も卑下すべき姿。
大石 自信は身に覚えのあることで幕府の自分への評価はうすうす知っていた、
大石の心配とは・・・
・ ・主君浅野切腹後はなんらかの理由で家老の自分も不名誉な処置を下される・・
・ ・その心配は現実に迫りつつある・・・どうしようか・・・
主君浅野切腹の後は自分への不名誉な処分が下されるのは狡知に長じた大石自身にも分かっていた、
大石は駄目元で主君の弟・浅野家再興を届けたが・・本心では無理と知っていたようである。
対する幕府は『叔父、甥と、人を切りつけるような凶暴な血は弟にも流れている、再興して又弟が刃傷沙汰を起こすと幕藩体制に庶民が反発する』早い話
幕府の処置は『異常者の弟には藩主はアカン』と云う事になった、
ここまでは封建時代では当然のことである、
こうなれば・・・と、主君の切腹後も遊蕩三昧に浸っていたが破れかぶれ・・どこまでも未練がましい大石という男である。
大石は一生一代の大博打を打ったのであろう、それには単純な四十七人の失業した家来を連れた雪の降る深夜、夜明け近い時間の凶行であった
大石率いる浅野の家来は失業の恨みを自分達の事件の最大の加害者である主君や間接的な失業の責任者の幕府より『被害者』の吉良に向けるしかなかった、
惰弱な元禄に馴染み過ぎた家来達は幕府に反抗する正当な理由も度胸も無かった、
こうして暗黙の折中案・吉良が全て悪い・・吉良悪人説が捏造された。
朝日新聞の従軍慰安婦捏造の元禄版です!!
こうして世にも不幸な吉良の老人は人生の終わりかけた歳で二度も無抵抗のままで斬られた、その上、死んでからも首を加害者浅野の墓前で突き刺されたのである、
理不尽に殺された上に今度は『遺体損壊』の犠牲にまでされた。
国許吉良では限りなく善政を敷いた良き殿様は全く何の瑕疵もないのに・・・
日本史上でも三度の凶行に遭遇する稀有な犠牲者となった、
悲惨にもその家来達も寝込んで2~3時間の意識も体力も脱落状態の時に鎖帷子と甲冑を付けた赤穂の浪人に四~五人で囲まれて一人づつ必要以上に切り刻まれていた。
ドラマの殺陣と全く違うリンチ殺人であった。
あとで検視役人が浅野の家来の顔も体型も確認出来なかったほどの死骸、残骸に検視を諦めたほどであった、惨状は正式な死体の人数が推定だけなのでも想像できる。
悲惨なのはその上、二百年以上後にまで主君と共に悪人として芝居にされている・・・・
ここまで悲惨な人生はシェークスピアでさえも考えなかった悲劇である。
また大石以外の浪士達は失業で自暴自棄になるより『それらしい名目』にのせられ凶行に走った心情は哀れでもある。
結果は『義士』と称えられても結局は切腹で人生は終わってしまった、
泣いて死のうとも笑って死のうとも死んでしまう本人には無限の闇に沈んで
消滅するだけである、おそらく宗教で言うような死後のバラ色の世界などはあるはずもない。
宗教でもっともらしい事をいっても実際に見に行って帰った人は居ない、本当は何も無くなってしまうだけだろう(私もあの世に行った訳ではないから確言できないが)
大石に乗せられた浪士と呼ばれる加害者達も哀れな一生で終わった。
その意味では吉良老人も封建時代の常として職務上では上司として知らずに『いじめ』をしていたかもしれない、
しかし雪の降る夜に集団で乱入してきた四十七人にリンチ殺人されるほどのものでは無い。
ちなみに殆んどのマスコミも吉良さんが有能で優しい『名君』であったのは知っている、( ただ知らない人がいれば歴史を勉強しなかった唯のアホです )インターネットでも驚くほど大量の書き込みが『吉良さんは被害者だ云々・・』と投稿されている、
それでもこのような異常な集団殺人を毎年変わらずに放映するのを止めないのが不思議でしかたない、
日本のマスコミ全体が元禄十四年から現代まで集団馬鹿になっているのはクソ朝日新聞の捏造まで続いている、私には全く理解不能である。
これが年末恒例『雪の深夜、集団乱入惨殺事件』の本当の話。
最低でもこれらの事実を知った上でこの集団殺人事件を見ていれば見方も変わるでしょう。
いづれにしても吉良の老人には全く不幸なことです、
それは浅野の家老に大石という男が居た為の不幸である、
自分のふしだらな生活をごまかす為に大石は一生一代の大博打を打った結果の行動、
それは単純な四十七人の失業した家来を引き連れた雪の降る深夜、夜明け近い時間の凶行であった。
結果は大逆転、大石の思うとおりに自分への評価は180度の変化である。
『忠義の集団を指揮した素晴らしい家老・大石内蔵助』の虚像が出来た。
この大石が自己の色欲遊興の出来なくなった果ての凶行、
理不尽の極致、吉良と言う最初の『被害者』を集団で殺害する、
日本では古くから「あだ討ち」はあったが全て同情すべき
『殺害された被害者の親族による復讐』を「あだ討ち」と言った、
現代でも凶悪な事件の被害者には「あだ討ち」をさせてやりたい思いがする、
しかし大石達四十七人は主君の浅野に切られて『傷を負わされた被害者』を再び襲って殺害した、暴力団の執拗な御礼参りである。
これでは「あだ討ち」ではない、執拗に被害者の老人を再度襲って殺しただけである、
前に書いたとおり吉良の殿様は善政を敷いて領民に尊敬されていた老人である、
今も吉良町では善政の証が方々に残っていて現在も尊敬されている人物である、
遊興三昧に歓楽街で遊び狂っていた大石と比べるまでもない人格の相違である。
馬鹿殿・浅野の若者は心身の病気だったという事で別にしても「忠臣蔵」とは意味不明である、
「もしもあの時」は歴史学ではタブーとされている・・・・
しかし!あえて思うのは
『もしも大石達の討ち入り後に吉良の家来が大石達を襲撃して誅殺していれば』
それこそ本当の『あだ討ち』である、
主君への度重なる「殺人未遂傷害」と「殺人」と「遺体損壊」にたいする「正当なあだ討ち」が成立したはずです。
以上のように浅野と吉良と大石の三者の背景、状況から調べると年末恒例の
忠臣蔵とは矛盾の上に矛盾を重ねたフィクションに過ぎない、
だが人物が実名である以上は善者と悪者が全く逆になっている事を真摯に考えなくてはいけない・・と再度思ったのは朝日新聞と言う捏造マスコミの警鐘を込めて。
お終いです。 美女で目を休ませて下さい。