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忠臣蔵の凄い戦術

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忠臣蔵の嘘・・3
        浪士の素晴らしい奇襲戦法と戦士
1)・2)・では 大石と言う男の虚構でした、が・彼の率いる浪士については大石とは逆に素晴らしい『戦士集団』です。
大石は ドーン・ドーン・ドドドド・・の太鼓を叩いていた、だけですが、
襲撃した浪士たちの戦術は素晴らしい奇襲作戦です、悲劇の吉良方の惨殺された護衛武士達は悲惨な犠牲者ですが・・。
古くさい「何とか流」では無く現代戦にも共通の緻密な情報収集と現場に対応した武器を調達し改造していました。
僅かな資金で、極く安物の『手槍』を購入して屋敷内で使い良いように自分の身長に合わせて短く切って使用してます、屋敷内では刀を振り回すなど出来ないと知っていたのです。
ひたすら狭く入り組んだ屋敷内では非常に有効な武器です。
  映画などでは刀を振り回していますが(まあ、そのほうが格好よく絵に  なりますが・・)
元禄時代では刀は持っていても日本中の武士は実際には使用したことは皆無です、
これはおそらく唯一の実戦体験者の堀部安兵衛の指導と思います。
彼はまだ中山安兵衛のとき高田馬場で多数を相手に勝ち抜いた実戦体験の
教訓として浪士に教えたのでしょう。
浪士達、すなわち下級武士ならではの素直さ、もし従来の精神論しか持たない上級武士では『途中採用』の安兵衛の教えを率直に聞か無かったと思います。
安兵衛は戦国時代より刀は補助兵器!槍が実戦の主兵器である!と高田馬場で身に染みて実感していたのです。
(一例として・・伊賀上野の仇討で多数の敵を倒した<荒木又右エ門>も最初に槍の名手を奇襲手段で倒しています、実戦では槍が有効なのを知っていたからです。
突然乗馬の下を潜っての奇襲手段は武士道や剣術としては卑怯者と蔑みます、が・勝てば後世では正義と呼びます)
浪士は狭い廊下で実際にまず槍で相手を突き倒し、後に続く浪士が倒れている吉良方の護衛を斬り刻んでいます、
かなり残酷なようですが奇襲戦法では反撃を封じるのが基本なので許されることです。
(平和ボケ時代に生きる私には・・そこまでしなくても・・と思うこともあ りますが、その時代に生きて居ない者の無知による身勝手なのです)
 
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    また、赤穂浪士の奇襲戦法で優れて居ることは他にもあります。
1・真っ暗闇の中、侵入路の照明の為に次々と簡易燭台の蝋燭を立てて味方に目標を間違わないようにしていました。
2・同時に敵の飛び道具である弓置き場に並ぶ弓の弦(つる)を斬る役目も  決めてあり、現に全ての弓は使えなくなっていました。
3・重要な合図のために笛もほぼ全員が持っていました。
4・楔帷子(くさりかたびら・防弾チョッキを想像して下さい)で自身の安全を確保して縦横に突き進んでいます。
5・襲撃時間の設定は人間の熟睡時の反射神経の消失時間を狙っている、目覚めても脳も身体も反応が不完全な時の襲撃は完璧な時間帯です。
(当時は不寝番は<火の用心>の為で今の歩哨・立哨のような敵襲警戒の
 兵では無かった)
 
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これだけ準備をした上での討ち入りは現代戦でも全て通用するものです。
これぞまさに元禄時代の、形式でなく実戦の訓練を重ねる自衛隊のレンジャー部隊の元祖です。
嘘ばかりの忠臣蔵で赤穂浪士達の研ぎ澄ましたような戦術は賞賛されるものです。
私は大石内蔵助は唾棄すべき男と断言しますが、襲撃に参加した堀部親子など全ての浪士達は優秀な武士であり戦士達だと信じています。
     忠臣蔵、実は不忠者の内蔵助ですが、赤穂浪士は元禄の優秀な
      レンジャー部隊でした。
 
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