11月24日・慰霊祭に行来ました。
前ブログに書きましたが生存の小倉兵曹長や米沢一等機関兵らが綴った詩が和讃となって慰霊祭で
詠われました。
毎年の恒例だそうです。
それと、ここの人達の決死的な救出は文字とおりの決死隊でした。
当時は救助艇などない時代です、手漕ぎの『8丁櫓』で嵐の岩ばかりの海に乗り出して
救出も「ライフィジャケット」などもない時代で、そのままで海に飛び込んで救出したのは・・・
犠牲的精神以上の、現代なら無謀な自分も死ぬ可能性が非常に高い行為です。
御嶽山の救出隊員やヘリコプター等も命掛けの危険な、はらはらする救助行動でしたが、
明治44年の相差の救助決死隊ほそれ以上に危険で勇気のある行動でした。
去年、自衛隊の飛行艇で救助された元アナウンサーが
『この国に生まれて良かった』 と感激で感謝する声が印象に残って居ますが、
相差の『春雨』救助決死隊の記録を読むと・改めて・『日本に生まれて良かった』!!
『春雨』が二つに折れて挫傷した岩礁に石碑があります、手前は断崖絶壁です。
殉職した44名のお名前
≪ 明治44年・相差青年隊 ≫
私は救出の決死隊員のお名前も石碑に残して欲しいと思いました。
また、女の人(18歳の少女)も荒れ狂う油の浮く海に泳ぎでて救助に
向かいました・・・・海育ちと言っても、物凄い勇気のある人達です。
現在・女性の地位云々する馬鹿社民の福島×××は此の少女の
<爪の垢> をダンプ一杯飲んでも出来ない決死的救出行動です。
綺麗なお姉さんは私の『心の救出隊』です。
相差・的矢・畦蛸には,、ごく普通に居る綺麗な海女さんでした。