勝海舟・弱い者にだけ強い!究極の虚構男
勝海舟とは、歴史ドラマでは無茶苦茶に良い人物になっています。
それが不思議でなりません。
一度でも「咸臨丸」の航海記等を読んだ人には何故???と思ってます。
幕末のドサクサにハッタリと法螺で出世した典型的な人間の勝海舟。
昭和60年から平成22年の出版物、(極一部です)
・・咸臨丸の僅か94名の乗員の信頼は全く無く、当然指揮もとれず、船酔以上の失態を演じていた、
航行中に自室に閉じこもってすねたり怒ったり、挙句に太平洋の真ん中で「ボートを降ろせ、俺は一人で江戸に帰る」と水夫に命じた、いわゆるバッテラー事件、
数学の出来ない勝は航海術は全く出来ずに
測量方、今の航海士の小野友五郎・浜口興右衛門・通訳の中浜万次郎が実際の操船をした、とキャプテン・ブルックが残している。
長崎の海軍伝習生の時に全く勉強せずに「梶くま」と言う未亡人と5年間同棲して二人の子供を作るだけで航海術は学ばなかった好色破廉恥な男、
当時既に40歳を越えて居た小野友次郎等が寮に入って必死に航海術を学んでいた時に勝は自宅でH三昧、単なるスケベな青年。
咸臨丸が日本に戻ってからの勝はキャプテン・ブルックや乗組員が小野友五郎を賞賛すると強烈な虚栄心と嫉妬で鳥羽伏見の策謀者は小野友五郎だと捏造して入獄までさせた・・
文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸』では
≪細心(気が小さい意味)で剛毅をてらい、名誉心に焦がれ、反対者を感服又は懐柔する手腕を有し、筆に口に宣伝する・・木村摂津守が尊敬されているのが不満で・・云々≫
福沢諭吉『やせ我慢の説』
≪勝海舟の人物とは、一時の豪気は弱い物を怖がらせるのみで、一場の詭言は少年の心は騙せるが君子は騙せなかった・・
咸臨丸の最高指揮官の木村摂津守に従わずダダを言って最後まで自室から出てこなかったのは給与の不満が原因と言われている、勝の航海手当が木村の3分の1に憤懣していた。
勝は金銭に異常にこだわる人物だった≫
また『サンフランシスコ航海の真相』
≪弱い者には一喝して自分を優位に立たせ主導権を握って屈服させる凄味、反面強い相手には巧言と懐柔で持ち上げて成り上がる≫
この勝海舟の所業を知って居た明治の海軍からは当然ながら無視、と言うより唾棄されていた。
尚、小野友五郎は明治政府の鉄道事業に技術者としての能力を買われて民部省測量方として『日本中の技師長として鉄道測量の司となった』
工部省鉄道人脈に小野広胖(旧・友五郎)と残って居る。
(明治22年幕末の海軍建設、拡充の功労者として贈位が申請された)
反して、化けの皮が剥がされた勝海舟は明治政府から外されて・・・
幕末の闇で蓄えた巨額の蓄財で生活は裕福であったが・・
子供、孫の不祥事で更に歴史の表から隠れていった。
このような勝が明治中期から何故賞賛され虚構の歴史になったかは多分、日露戦争の海軍の宣伝材料に咸臨丸が使われたからだ・・と言われている。
咸臨丸の最高指揮官の木村摂津守は旧幕臣なので、ナンバー2の、幕臣で無く祖父が御家人株を買った金貸し業の町人の勝が客寄せパンダとして利用されたとの事です。
晩年のこの男の写真です、彰義隊が上野に籠った
頃に江戸の町の土地を二束三文で買いまわって巨額の
富を得た元祖田中角栄と噂されて居ます(笑い)
近代史の書物には普通に書いてあるのですが、未だにドラマでは虚構の勝海舟が実象のように登場するのか?・・多分、歴史作家も脚本家もアホなのでしょう。