≪ 須賀利戦記を書いていてつくづく思った事 ≫
当ブログで今年2月3日に尾鷲湾の戦闘・須賀利湾内の戦闘について載せました
詳しくは今年・2月3日のブログを読んで頂けると詳細がわかります。
先日、7月3日に須賀利に行きました、この日は親戚の法事で須賀利湾内の戦没慰霊碑にはゆっくりと参拝できませんが写真を撮ってきました。
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2月3日のブログでは三分の一しか載せていません。
今回は写真を含めた残りを載せます。
須賀利湾の戦闘の記録を調べていて心底思ったのは欧米人は凶暴な戦闘マシーンだということ、 もう一つ決して忘れてはいけない事、それは絶対に『欧米』と戦争をしてはいけません。
自衛隊は米軍と行動を共にするのが日本の生き残る唯一の道です。
理由はただ一つ、欧米人は歴史上に登場して以来戦闘には肉食野獣のDNAがあるからです
、日本人には全く無い本能で相手が負傷して死に掛っていても息の根を止めるまで殺戮を止めれない人種です、
普段は優しく「国際法上は・・」と言うのも戦闘の無い、または勝った後で敗戦国の軍人を合法的に殺す為だけです。
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この尾鷲の空襲の前後、機動部隊は数か月間あらゆる沿岸の小さな漁港を荒らし回りました、
この時は紀州半島の殆んどの小さな港を空襲しています、8月には三陸沿岸の、
同じ横須賀防備隊所属の女川港の「女川防備隊」の
「天草」「大浜」「四十二号駆潜艇」「三十三号掃海艇」が沈みました、
尾鷲湾と同じように何とか敵機を二機を撃墜しましたが百五十七名が戦死しました、
そのなかの相当数の兵は沈んだ船から脱出して沿岸に泳いでいる兵が機銃掃射で殺されました、
「天草 ] の乗員は殆んどが僅か二〇〇メートルの岸まで泳ぎ着く前に機銃掃射で亡くなりました。
九日空母の艦長から出撃前に『戦争は終わりに近いのだか ら気楽にやってこい』
と訓示 された米英のパイロットが『気楽に』 沈んだ船から岸に泳ぎ向かう海中の無抵抗な兵を機銃弾で殺戮していたのです。
不幸中の幸いと言うべきか尾鷲港の艦艇や須賀利湾では岸辺に沈んだ為に岸に退艦した生存者は「天草」のような悲劇はありませんでした、
これらは一例に過ぎません・・・
日本軍がこのような事をしたら国際法違反の罪で死刑にされます。
又雷撃で沈んだ輸送船の生き残りの溺れる日本兵にも浮上した潜水艦から機銃掃射で殺戮しています、ごくごく普通に・・です。
戦争では勝者は何をしてもOKが欧米人です、反面、負けた日本兵には無法の限りに理由を付けて『戦犯』として処刑しました、女川港で撃墜されたニ機のうち一名 ( 英国人 ) は「戦時捕虜」の権利で守られて、戦後堂々と帰って行きました。
このような事実はあらゆる戦場でありました、戦艦『大和』『武蔵』の沈んだ海上でもグラマンやシコルスキーの機銃掃射で・・・むろんその他の艦船でも。
沈んだ船の兵士は奇跡的に生き残り漂流しても ほとんどが機銃掃射の標的として・・
あらゆる艦船の大小に関係なく沈めた艦船の兵士は漂流する海でゲームのように標的にされて殺されました。
空母に帰還したパイロットたちはその様子を自慢して話します、日本人は彼らからみて人間ではなく狩猟対象の獲物に過ぎません。
いわゆる神風と言われた体当たりの映像、体当たり前に撃墜された搭乗員が米駆逐艦の舷側に落ちて泳いでいる、もはや戦闘員ではなく本能で生きようとする唯の弱者です、国際法では捕虜にする状況です、が!なんと舷側に漂い泳ぐ搭乗員に機関砲弾が集中発射されて瞬時にこの泳いでいた搭乗員は文字通り粉微塵になって消えてしまいました、完璧な戦争犯罪の瞬間です、それをカラーの記録映像に残しています。
戦争犯罪などとは思ってもいないのです、地上戦でも同じです、
沖縄戦では塹壕から瀕死の日本兵を引きずり出して・・その映像もカラーですが、
手当でもするのかと思った瞬間に数人のGIが銃を発射しました、跳ね上がるように動いた日本兵は即死です、それも映像に残してハンターが獲物の留めを刺す記念にする
GI!
かれらは何故か記録に残す習性があるようです、日本本土の空襲で機銃掃射する民間の機関車などもガンカメラで残しています、戦争では勝者には何事でも許されるということです。
日本本土を無差別爆撃したB29の搭乗員も何機かは撃墜されて乗員が処刑されました。
(日本軍の軍 事法廷で国際法上で無差別爆撃は戦闘行為ではなく民間人の大量虐殺の罪 ですから処刑は国際法上全く正当なのです)
が!戦後の『戦争犯罪裁判』でこれに関係した日本の法務官 の将兵は死刑にされました。
戦争に負ければこのようなことが正当なこと・・・
もう一つは白人には国際法で許せるが黄色人種には白人と戦争するなどは国際法など通用させない!これが勝者が敗者、それも醜い黄色いサルが相手ではなおさらです・・・
( 余談ですが・・名張市のあるアホが落ちたB29の乗員の慰霊碑を建てて自慢げに話している記事を見たときは怒りより驚きました、この乗員達が落とした十トン前後の爆弾で大阪方面の住民が何百人も死んでいる、一般住民を殺す無差別爆撃は国際法ではテロ行為として処罰の対象です、その人間を慰霊する異常な思考力、
現にB29の何百分の一、ささやかなトン数の南京や重慶爆撃を非難する日本の左翼集団はどう答えるか聞いてみたい。)
とにかく、それが欧米人の思考です。
ただ欧米人はほんの少しは恥も知っていて、これ ( 戦争裁判 ) で敗戦国いじめはとりあえず終了です。
が!隣国の支那と朝鮮韓国は日本への勝者でも無いのに未だに捏造と因縁を付けてお金を盗りに来る・・・この連中は悪辣国家です、が言いなりに半世紀以上に渡ってお金を払った日本の政治家と外務省の無能無策の結果でもありますが・・・
Image may be NSFW. Clik here to view. 特設掃海艇からの対空射撃
ちなみに日本軍はあらゆる戦場で水没した敵艦船の漂流者は救助することは多々ありましたが機銃掃射して殺戮したことは全くありません。
理由はささやかな武士道精神と外国との戦いの歴史が無く留めを刺すハンターの習慣が無いのです、いわゆる草食の農耕民族で欧米の狩猟肉食人種との違いです、
一例をあげます
昭和十七年三月一日午後二時過ぎ、英重巡洋艦「エクゼター」(一万三〇〇〇トン)、「エンカウンター(一三五〇トン)は、ジャワ海脱出を試みて帝国海軍艦隊と交戦し、相次い で撃沈された。その後両艦艦長を含む約四五〇人の英海軍将兵は漂流を開始した。
翌三月二日午前十時ごろ、漂流する一団は生存と忍耐の限界に達していた。
結果一部の将兵は 自決のための劇薬を服用しようとしていた。
まさにその時「雷」に発見された、
駆逐艦「雷」は直属の第三艦隊司令部より哨戒を命じられ単艦でこの海面を行動中で
あった。
「雷」乗員は全部で220名、ところが敵将兵は450人以上が浮游していたのである。
さらにこの海面は敵潜水艦の跳梁も甚だしく艦を停止させること自体、自殺行為に等しかった。
救助を決断した「雷」艦長工藤俊作少佐(当時)は四十一歳、山形県出身、
当初は救い上げる敵将兵の蜂起に備え、軽機関銃を準備し警戒要員を艦内主要箇所に配置していた、が艦長は間もなく彼らの体力が限界に達している事に気づくいた、
そこで警戒要員も救助活動に投入した。
一部英海軍将兵は、艦から降ろした縄はしごを自力で登れないばかりか、竹竿をおろして一たんこれにしがみ付かせ、内火艇(艦載ボート)で救助しようとしたが、力尽きて海底に次々と沈んで行った、見ていた「雷」の下士官数名が艦長の意を呈し、救助のために海に飛び込んだ、そしてこの気絶寸前の英海軍将兵をロープで固縛し艦上に引き上げた、
英国人サー・フォールは、当時の状況を「雷」が眼前で停止した時、「日本人は残虐」と言う潜入感があったため「機銃掃射を受けていよいよ最期を迎える」と頭上をかばうかのように両手を置いてうつむこうとした・・その瞬間、「雷」メインマストに「救助活動中」の国際信号旗が掲揚されボートが下ろされたのを見た。
サー・フォールはこの瞬間から夢ではないかと思い、何度も自分の腕をつねったと言う
それだけでは無かった、「雷」艦上ではサー・フォールを一層感動させる光景があった、
日本の水兵達が汚物と重油にまみれた英海軍将兵を嫌悪しようともせず、服を脱がせてその身体を丁寧に洗浄し、また艦載の食料被服全てを提供し労る光景であった、
戦闘海域における救助活動は下手をすれば敵の攻撃を受け、自艦乗員もろとも遭難するケースが多々ある。
ちなみに日本の潜水艦は救助中の艦船攻撃はタブーとされていたが欧米の潜水艦は容赦なく攻撃した、
工藤艦長は英米の艦長と違った、救助の相手は敵将兵であるが、さらに工藤艦長は潮流で四散した敵兵を探し求めて終日行動し、例え一人の漂流者を発見しても必ず艦を止め救助したのである。
「武士道」は不滅 救命活動が一段落したとき艦長は前甲板に英海軍士官全員を集め、英語でこう訓辞した
「貴官らはよく戦った。貴官は本日、日本帝国海軍 のゲストである」と、
そして艦載の食料の殆どを供出して歓待したのである。
半世紀以上過ぎてサー・フォールは来日し、当時の日本人と共に工藤艦長の墓前で顕彰祭を挙行して感謝の意を伝えた。サー・フォールが戦後六十三年抱き続けた工藤艦長への思いは達成されたのである。
しかし忘れてはいけないのは・・「雷」は 昭和十九年四月十三日、船団護衛中に グアムの西で米潜水艦「 ハーダー 」( USS Harder, SS-257 )の雷撃を受け沈没、むろん、米潜水艦は救助活動などしない、全 員が戦死した のである、 [
これは有名な一例です、沈みかけるはど漂流する英兵を救助して乗員の二倍も乗せた「雷」 ・・・
これに対して『気楽に戦え』と言われるままに全弾を漂流する日本兵に浴びせて身軽な機体で母艦に還った英米のパイロット・・・草食農耕民族と肉食狩猟民族で海賊の子孫達との違い!
もっとも日本兵が留めを刺さない決定的な理由もあります、それは日本の貧乏な国民性です、一口で言えば『無駄に撃つ弾が無い』のです、
須賀利湾の戦いでも書きましたが「発射弾数と残り弾数」をいちいち記録するほど無駄弾の使用を禁止していました、これでは漂流する敗兵を撃つ事など出来ません。
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また南京虐殺などの捏造も、撃つ弾さえない日本兵には不可能ですが・・それを言う支那人はそういう人種でしかたありません、が、そういう捏造に同調して社会を攪乱する一部の日本人には怒りをおぼえます、
「あなた達、当時の日本の物資不足は戦場の弾丸も全く不足していた実状を知っているのですか」と言うしかありません。
今の自衛隊も小銃の横に空薬きょう受けの袋を付けて訓練しています、
予算が無いから再利用するのです、我が小さな島国は貧乏な体質から抜け出られません、まさに『自衛』『国防』以外に戦争は出来ない体質の国なのです。
書き終わって・・あの戦争は完敗でした、いかに勇敢な日本兵も欧米の戦争マシーンには勝てません。
今後決して欧米と戦争はしてはいけません、唯一地球上で小さな島の国家を守っていく道は誰に何と言われようとも『自衛隊は米軍と相互信頼関係で連携していく』だけです、米国のダブルスタンス外交に注意しつつも・・・・
終わり