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虎の子兵長・2

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雑誌「丸」の記事です。
子供心にも詳しい!と思っていたら実際に航空審査部で軍属として搭乗整備員をされていました。
その体験自伝です、沢山のイラストは子供のころ見た「虎の子兵長」を思い出す秀作ばかりです。
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そして私の一番好きで拡大してパネルにして飾っている 裏表紙の絵です
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相当くたびれたオッサンでもこれを眺めてボサーッと見ていると安らぎます。
少年飛行兵がメインの漫画でした。
少年飛行兵の 「昭和の桃太郎」は良い歌ですがユーチューブでもアップされていないのが残念です。
戦後の30分の記録映画「少年飛行兵」の最後の方で聴けます、
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映画では このシーンで流れてきます、一時間後には死んでいる少年の笑顔が・・・
何度見ても胸が熱くなるシーンと歌です。
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このころ「わちさんぺい」さんも少年飛行軍属でした。
また「虎の子兵長」や『空の三曹」を載せたいと思っています。
 
お終い

郷土の偉人・辻本馨少尉

 
昭和20年4月7日  ( 戦艦「大和 の沈没の日です )
 
《 故郷の上空で体当たりした辻本馨少尉 ≫
 
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     辻本少尉、愛知県清洲の飛行第五戦隊所属
 
4月7日、中部方面の空襲に来たB29の迎撃に愛知県清洲の
飛行第五戦隊の中隊長・伊藤藤太郎中尉の部下である・・・
・・この日、辻本少尉は乗機がなく出撃に残された。
 
伊藤中尉(のち大尉)の手記より
「今日の迎撃に連れて行って下さい」
「だめだ、貴様の搭乗する機体もない、死に急ぐな・・」
「飛行機があったら出撃させてくれますか、修理の終わったのがあります」
伊藤中尉はこの会話を離陸直前に交わしていたが、
切迫した中で離陸直前に叱りつけるように
「勝手にしろ」 と言い残して伊藤中尉の中隊は離陸していった。
 
この後、伊藤中尉は木曽川上空でB29を撃墜、関西線木曽川鉄橋の
北200メートルに落ちたB29の乗員4名は落下傘で脱出、捕虜になった。
帰還後伊藤中尉は辻本少尉の居ないのに気付き聞いてみると
 
「伊藤中尉の許可を得たから・・と修理が終わったばかりで右発動機が不調のまま試験飛行も終わっていない飛行機で30分ほど遅れて離陸しました・・」
伊藤中尉は『しまった』と思ったが・・辻本少尉は還ってこなかった。
 
すでに燃料も無くなる時間をすぎて日が暮れた。
 
次の日、三重県津市高茶屋の高射砲部隊より
『同市南方上空において味方双発戦闘機が午後1時頃B29に体当たり、双方木端微塵に墜落、南方5キロ付近の海上に墜落を視認したり』の連絡が来た。
 
辻本少尉は今の津市と隣接する松阪市・・当時は飯南郡伊勢寺村野村の出身
          花岡国民学校で教鞭をとっていた
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その後、現役入隊後『陸軍特別操縦見習士官』の2期生として熊谷飛行学校を卒業、飛行第五戦隊に配属されて二式複座戦闘機「屠龍」を操縦していた。
             特操2期生の拳銃射撃訓練
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後部席には加藤征之伍長・( 北海道小樽市出身、少年飛行兵・水戸通信学校・)
 
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これが辻本馨少尉と加藤政之伍長の体当たり戦闘でした。
 
    ネットの:あるアホな人物:のサイトで辻本少尉機について、
         相当誤った文面なのであえて訂正します、
 
辻本少尉に落とされたB29はCROWCOFT,furanku A 機長外10名即死、
 
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このブログは辻本少尉と加藤伍長の名誉のためあえて訂正しました、黙祷
 
参考『激戦の空に生きて』伊藤藤太郎 著 
『辻本馨少尉の体当たり』雲井保夫 著
      当時の伊勢新聞(伊勢新聞マイクロフイルム)
 

尾鷲・須賀利の戦闘

 
≪ 須賀利戦記を書いていてつくづく思った事 ≫ 
 
当ブログで今年2月3日に尾鷲湾の戦闘・須賀利湾内の戦闘について載せました
詳しくは今年・2月3日のブログを読んで頂けると詳細がわかります。
先日、7月3日に須賀利に行きました、この日は親戚の法事で須賀利湾内の戦没慰霊碑にはゆっくりと参拝できませんが写真を撮ってきました。
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2月3日のブログでは三分の一しか載せていません。
今回は写真を含めた残りを載せます。
 
須賀利湾の戦闘の記録を調べていて心底思ったのは欧米人は凶暴な戦闘マシーンだということ、もう一つ決して忘れてはいけない事、それは絶対に『欧米』と戦争をしてはいけません。
自衛隊は米軍と行動を共にするのが日本の生き残る唯一の道です。
 
理由はただ一つ、欧米人は歴史上に登場して以来戦闘には肉食野獣のDNAがあるからです
、日本人には全く無い本能で相手が負傷して死に掛っていても息の根を止めるまで殺戮を止めれない人種です、
普段は優しく「国際法上は・・」と言うのも戦闘の無い、または勝った後で敗戦国の軍人を合法的に殺す為だけです。
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この尾鷲の空襲の前後、機動部隊は数か月間あらゆる沿岸の小さな漁港を荒らし回りました、
この時は紀州半島の殆んどの小さな港を空襲しています、8月には三陸沿岸の、
同じ横須賀防備隊所属の女川港の「女川防備隊」の
「天草」「大浜」「四十二号駆潜艇」「三十三号掃海艇」が沈みました、
尾鷲湾と同じように何とか敵機を二機を撃墜しましたが百五十七名が戦死しました、
そのなかの相当数の兵は沈んだ船から脱出して沿岸に泳いでいる兵が機銃掃射で殺されました、
「天草]の乗員は殆んどが僅か二〇〇メートルの岸まで泳ぎ着く前に機銃掃射で亡くなりました。
九日空母の艦長から出撃前に『戦争は終わりに近いのだから気楽にやってこい』
と訓示された米英のパイロットが『気楽に』沈んだ船から岸に泳ぎ向かう海中の無抵抗な兵を機銃弾で殺戮していたのです。
不幸中の幸いと言うべきか尾鷲港の艦艇や須賀利湾では岸辺に沈んだ為に岸に退艦した生存者は「天草」のような悲劇はありませんでした、
これらは一例に過ぎません・・・
日本軍がこのような事をしたら国際法違反の罪で死刑にされます。
又雷撃で沈んだ輸送船の生き残りの溺れる日本兵にも浮上した潜水艦から機銃掃射で殺戮しています、ごくごく普通に・・です。
戦争では勝者は何をしてもOKが欧米人です、反面、負けた日本兵には無法の限りに理由を付けて『戦犯』として処刑しました、女川港で撃墜されたニ機のうち一名(英国人)は「戦時捕虜」の権利で守られて、戦後堂々と帰って行きました。
このような事実はあらゆる戦場でありました、戦艦『大和』『武蔵』の沈んだ海上でもグラマンやシコルスキーの機銃掃射で・・・むろんその他の艦船でも。
沈んだ船の兵士は奇跡的に生き残り漂流しても ほとんどが機銃掃射の標的として・・
あらゆる艦船の大小に関係なく沈めた艦船の兵士は漂流する海でゲームのように標的にされて殺されました。
空母に帰還したパイロットたちはその様子を自慢して話します、日本人は彼らからみて人間ではなく狩猟対象の獲物に過ぎません。
いわゆる神風と言われた体当たりの映像、体当たり前に撃墜された搭乗員が米駆逐艦の舷側に落ちて泳いでいる、もはや戦闘員ではなく本能で生きようとする唯の弱者です、国際法では捕虜にする状況です、が!なんと舷側に漂い泳ぐ搭乗員に機関砲弾が集中発射されて瞬時にこの泳いでいた搭乗員は文字通り粉微塵になって消えてしまいました、完璧な戦争犯罪の瞬間です、それをカラーの記録映像に残しています。
戦争犯罪などとは思ってもいないのです、地上戦でも同じです、
沖縄戦では塹壕から瀕死の日本兵を引きずり出して・・その映像もカラーですが、
手当でもするのかと思った瞬間に数人のGIが銃を発射しました、跳ね上がるように動いた日本兵は即死です、それも映像に残してハンターが獲物の留めを刺す記念にする
GI!
かれらは何故か記録に残す習性があるようです、日本本土の空襲で機銃掃射する民間の機関車などもガンカメラで残しています、戦争では勝者には何事でも許されるということです。
日本本土を無差別爆撃したB29の搭乗員も何機かは撃墜されて乗員が処刑されました。
(日本軍の軍事法廷で国際法上で無差別爆撃は戦闘行為ではなく民間人の大量虐殺の罪 ですから処刑は国際法上全く正当なのです)
が!戦後の『戦争犯罪裁判』でこれに関係した日本の法務官の将兵は死刑にされました。
戦争に負ければこのようなことが正当なこと・・・
もう一つは白人には国際法で許せるが黄色人種には白人と戦争するなどは国際法など通用させない!これが勝者が敗者、それも醜い黄色いサルが相手ではなおさらです・・・
 ( 余談ですが・・名張市のあるアホが落ちたB29の乗員の慰霊碑を建てて自慢げに話している記事を見たときは怒りより驚きました、この乗員達が落とした十トン前後の爆弾で大阪方面の住民が何百人も死んでいる、一般住民を殺す無差別爆撃は国際法ではテロ行為として処罰の対象です、その人間を慰霊する異常な思考力、
 現にB29の何百分の一、ささやかなトン数の南京や重慶爆撃を非難する日本の左翼集団はどう答えるか聞いてみたい。)
とにかく、それが欧米人の思考です。
 
ただ欧米人はほんの少しは恥も知っていて、これ(戦争裁判)で敗戦国いじめはとりあえず終了です。
 
が!隣国の支那と朝鮮韓国は日本への勝者でも無いのに未だに捏造と因縁を付けてお金を盗りに来る・・・この連中は悪辣国家です、が言いなりに半世紀以上に渡ってお金を払った日本の政治家と外務省の無能無策の結果でもありますが・・・
 
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特設掃海艇からの対空射撃
 
ちなみに日本軍はあらゆる戦場で水没した敵艦船の漂流者は救助することは多々ありましたが機銃掃射して殺戮したことは全くありません。
理由はささやかな武士道精神と外国との戦いの歴史が無く留めを刺すハンターの習慣が無いのです、いわゆる草食の農耕民族で欧米の狩猟肉食人種との違いです、
 
一例をあげます
昭和十七年三月一日午後二時過ぎ、英重巡洋艦「エクゼター」(一万三〇〇〇トン)、「エンカウンター(一三五〇トン)は、ジャワ海脱出を試みて帝国海軍艦隊と交戦し、相次いで撃沈された。その後両艦艦長を含む約四五〇人の英海軍将兵は漂流を開始した。
翌三月二日午前十時ごろ、漂流する一団は生存と忍耐の限界に達していた。
結果一部の将兵は自決のための劇薬を服用しようとしていた。
まさにその時「雷」に発見された、
駆逐艦「雷」は直属の第三艦隊司令部より哨戒を命じられ単艦でこの海面を行動中で
あった。
 「雷」乗員は全部で220名、ところが敵将兵は450人以上が浮游していたのである。
さらにこの海面は敵潜水艦の跳梁も甚だしく艦を停止させること自体、自殺行為に等しかった。
救助を決断した「雷」艦長工藤俊作少佐(当時)は四十一歳、山形県出身、
当初は救い上げる敵将兵の蜂起に備え、軽機関銃を準備し警戒要員を艦内主要箇所に配置していた、が艦長は間もなく彼らの体力が限界に達している事に気づくいた、
そこで警戒要員も救助活動に投入した。
 
一部英海軍将兵は、艦から降ろした縄はしごを自力で登れないばかりか、竹竿をおろして一たんこれにしがみ付かせ、内火艇(艦載ボート)で救助しようとしたが、力尽きて海底に次々と沈んで行った、見ていた「雷」の下士官数名が艦長の意を呈し、救助のために海に飛び込んだ、そしてこの気絶寸前の英海軍将兵をロープで固縛し艦上に引き上げた、
英国人サー・フォールは、当時の状況を「雷」が眼前で停止した時、「日本人は残虐」と言う潜入感があったため「機銃掃射を受けていよいよ最期を迎える」と頭上をかばうかのように両手を置いてうつむこうとした・・その瞬間、「雷」メインマストに「救助活動中」の国際信号旗が掲揚されボートが下ろされたのを見た。
 
サー・フォールはこの瞬間から夢ではないかと思い、何度も自分の腕をつねったと言う
それだけでは無かった、「雷」艦上ではサー・フォールを一層感動させる光景があった、
日本の水兵達が汚物と重油にまみれた英海軍将兵を嫌悪しようともせず、服を脱がせてその身体を丁寧に洗浄し、また艦載の食料被服全てを提供し労る光景であった、
戦闘海域における救助活動は下手をすれば敵の攻撃を受け、自艦乗員もろとも遭難するケースが多々ある。
 
ちなみに日本の潜水艦は救助中の艦船攻撃はタブーとされていたが欧米の潜水艦は容赦なく攻撃した、
工藤艦長は英米の艦長と違った、救助の相手は敵将兵であるが、さらに工藤艦長は潮流で四散した敵兵を探し求めて終日行動し、例え一人の漂流者を発見しても必ず艦を止め救助したのである。 
「武士道」は不滅 救命活動が一段落したとき艦長は前甲板に英海軍士官全員を集め、英語でこう訓辞した 
「貴官らはよく戦った。貴官は本日、日本帝国海軍のゲストである」と、
そして艦載の食料の殆どを供出して歓待したのである。
 
 半世紀以上過ぎてサー・フォールは来日し、当時の日本人と共に工藤艦長の墓前で顕彰祭を挙行して感謝の意を伝えた。サー・フォールが戦後六十三年抱き続けた工藤艦長への思いは達成されたのである。
 
しかし忘れてはいけないのは・・「雷」は昭和十九年四月十三日、船団護衛中に グアムの西で米潜水艦「ハーダー」(USS Harder, SS-257)の雷撃を受け沈没、むろん、米潜水艦は救助活動などしない、全員が戦死したのである、[
 
 
これは有名な一例です、沈みかけるはど漂流する英兵を救助して乗員の二倍も乗せた「雷」・・・
 
これに対して『気楽に戦え』と言われるままに全弾を漂流する日本兵に浴びせて身軽な機体で母艦に還った英米のパイロット・・・草食農耕民族と肉食狩猟民族で海賊の子孫達との違い!
 
もっとも日本兵が留めを刺さない決定的な理由もあります、それは日本の貧乏な国民性です、一口で言えば『無駄に撃つ弾が無い』のです、
須賀利湾の戦いでも書きましたが「発射弾数と残り弾数」をいちいち記録するほど無駄弾の使用を禁止していました、これでは漂流する敗兵を撃つ事など出来ません。
 
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また南京虐殺などの捏造も、撃つ弾さえない日本兵には不可能ですが・・それを言う支那人はそういう人種でしかたありません、が、そういう捏造に同調して社会を攪乱する一部の日本人には怒りをおぼえます、
「あなた達、当時の日本の物資不足は戦場の弾丸も全く不足していた実状を知っているのですか」と言うしかありません。
 
今の自衛隊も小銃の横に空薬きょう受けの袋を付けて訓練しています、
予算が無いから再利用するのです、我が小さな島国は貧乏な体質から抜け出られません、まさに『自衛』『国防』以外に戦争は出来ない体質の国なのです。
 
書き終わって・・あの戦争は完敗でした、いかに勇敢な日本兵も欧米の戦争マシーンには勝てません。
今後決して欧米と戦争はしてはいけません、唯一地球上で小さな島の国家を守っていく道は誰に何と言われようとも『自衛隊は米軍と相互信頼関係で連携していく』だけです、米国のダブルスタンス外交に注意しつつも・・・・
                                終わり
 

懐かしい良き時代

戦前の日本独特の情緒のあるポスターなどです。
  ( 既出の物がありますが・・・・無断借用もあります、ゴメンね。)
 
私の下手なコメント不要の素晴らしい絵画・イラストです。
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優しい兵隊さんですが、この子供たちは今現在感謝の気持ちを無くしています。
 
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孫の自転車

酷暑の時期です。
子供には嬉しい夏休み・・・と言うことで娘1号が孫1号と帰省します。
最初2~3日は婿殿1号も我が田舎の村に・・婿1号は嬉しくなるほどの酒飲みです。
 
僅か10日ですが 「東京と同じサイズの自転車を用意しといて」・・・・と言うので
娘1号に自転車のサイズを聞いて同じのを探す、
そして毎日近郊を探し回って、ついに廃品回収屋さんで1000円でゲット。
 
殆ど修理の必要も無い状態です、 (勿体ない時代です) 酷暑に負けずに掃除と塗装。
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老人の私には結構汗汗汗でほぼ ミイラオッサン です。
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こうして見ると 「お局様」 のクリーム色折り畳みより綺麗!
私の10年前のボロ折り畳みが廃車予備自転車に見えます。
 
   所が!
この写メを送った、 が!
『自転車乗らないよ、そっちへ行ったら毎日二見へ海水浴に行くか裏の川で泳ぐ』!!!!
 
なんと!究極の 我がまま 孫。
完璧に娘1号の 「我がままDNA」 を引き継いでいる。
 
        我が家の 「お局様」 のDNA は娘から孫へと正しく続いている。
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  これからは  元祖我がまま婆  二代目我がまま娘 三代目わがまま孫  と呼びます。
 
  三代目我がまま孫 と アホ犬のター♂    ター♂ も辛そうな顔で孫に接しています。
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こういう一族(涙)・・・・私は明日から一人で山中彷徨します、
友人はこれを 『老人性短期山中徘徊症候群』と言ってます。
 
・・・・・・こんな美女に逢いたい・・・・・
 
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         現実とは・・・あの山越えて・・・その奥の山越えても美女は居ないのです、それに気付かずに
                 毎日 山に行くアホオッサンです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ジムニーで家出準備

暑さと・・・それ以上に恐ろしい 「お局様」 から逃れる・・・
 
まず、折り畳み自転車を・・
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狭いジムニーに積み込み・・
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ボロジムニーですが、後ろ座席を外して床に仕掛けが・・・
 
超簡単なスペースが出来ます、悪い頭で考えた『カー野宿』用です。
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ポコポコと開くこうなります、昔の≪蛇腹カメラ≫のアイデアです。
 (今は外面は薄いアルミを張ってあります)
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中は
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中はベニヤ板のままです、寝るだけですから。
 
 
一応床は180センチのスペースがあって熊の出る山中でテントで寝る不安は解消しました。
 
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  次の課題は・・・極・小さいバイク(250)用のトレラーを作れば!
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以後は 天下無敵で 『いつでも家出てってやるぜー!』
 
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      日本中の養子なら誰でも一度は叫びたいセリフを・・・   ・Image may be NSFW.
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これで山中で美女妖怪を探して・・・ユートピアを作るのが夢。
 
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いざ出撃!ガハハハ・・

飛行機の変わった写真です

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 この写真の飛行機・・一発で名称解る人は、かなり・と言うか飛行機識別の達人です。
かく言う私は分かりませんでした、
前後の写真でようや海軍の『96式陸上攻撃機』?と想像できた(自信なし)
 
別の本でよく似たアングルがありました
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不鮮明ですが胴体上のデカイ銃座と後方側面の小型銃座が 「上」 の後ろからの写真では操縦席に見えたようです。
このように普通に飛んでいる写真では私でも分かるのですが。
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日本機にしては相当変わった形です、
性能は低速で一発被弾でライター!これは日本機共通の泣き所でした、
    『攻撃は最良の防御』 と言いつつ攻撃力も大してありません、 
    戦果を挙げれたのは優秀な搭乗員が居たからです。
 
陸軍のよく似たタイプの『99式双発軽爆撃』も変わったスタイルです。
金魚のような腹です。
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海軍機より搭乗員が半分の4名と少なく (人的被害は少なくて済みます)
海軍の96式より、軽快で高速、機体の方は少し丈夫だった様ですが航続力は3分の2程度でした。
 
99式は艦船攻撃用に『跳躍爆弾』を搭載した攻撃の訓練もしました。
『跳躍爆弾』 は円盤形 (マーブルチョコのお化けのような形) です。
またこれは次回で載せる予定です。
 
        最近は暑い日が続きます、昔の飛行機も日よけの下です。
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                                      お終い
 
 

自衛隊の運搬車が農作業車で生きていた!

昭和31年…大昔ですが・・
自衛隊は56式特殊運搬車≪早く言えば・リヤカーです≫の機械化?を試作しました。  
 
     RZ-1 と改良型の RZ-2 です  RZのRはリヤカー・RIYAKAー・の頭文字だと勝手に想像してます。
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キャタピラーのSZ-1 と改良型の SZ-2
 
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このような感じです
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こんな感じで結構面白そうな車両でしたが不採用!
 
ジープがこの程度なら、ジープが有るやんか!と気づいたのかな! そのうえ超低速。
 
これでこのような車両は絶滅・・・と思っていたら今もヤンマーで改良されて現役で頑張ってます。
 
一説によるとヤンマーが自衛隊をうまく利用して開発研究費を・・・あくまでも一説ですが。
ヤンマーは今も自衛隊に車両納入業者らしい・・・量は三菱・川崎程では無いでしょうが。
 
これを載せたのは先日、山の傾斜地でヤンマーのキャタピラが運搬作業していたので
思い出して・・・。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
ヤンマーのパンフレット探して今の特殊運搬車・その子孫の写真探します。
 
同じように自衛隊不採用の戦車は農作業に転用できませんが、リヤカーの
進化系なら・・・・ヤンマーはすごい(拍手)
 
追・・・・リヤカーは今でも自衛隊で使ってるようです、
海上自衛隊の揚陸艦には折り畳みリヤカーもあるそうです。
 
リヤカーを発明したのは誰でしょうか?
正に≪大発明≫です。
 
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 どなたか「ヤンマー」や 「リヤカー」のこと お教えください、お願いいたします。
 

尾鷲港・熊野灘艦隊慰霊祭

尾鷲港の空襲で沈んだ「第26掃海隊」を母体とする『熊野灘部隊』艦隊(旗艦・駒橋)の慰霊祭に参列しました。
今年で69周年です、公益財団法人「隊友会」と公益財団法人「水交会」と海上自衛隊の主催で
      海上自衛隊の支援艦「えんしゅう」艦上で行われました。
 
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「えんしゅう」のラッパ演奏隊員には女性隊員が見えました。
 
昭和20年7月28日、米英連合の機動部隊の空襲で・・戦死147名・・
後ろに見える半島の岸部に 「駒橋」「第45号海防艦」「第14号駆潜艇」 が
鎮座着底していました、すぐ横の須賀利湾内では「第18播州丸」が沈んでいました。
 
この機動部隊はそのあと横須賀防備隊所属の≪女川防備隊≫の
「天草」「大浜」「42号駆潜艇」「33号掃海艇」を沈めています。
・・・・戦死157名・・・・
 
この空襲の記録は 拙著「須賀利湾内の戦争」 でお読みいただければ幸いです。
 
≪ 「須賀利湾内の戦争」の一部を今年の2月3日と7月6日のブログに載せています ≫
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シンガポールの街の朝

旧伊勢本街道という細い道です、結構由緒ある大昔の国道?ですが、ここでは省略。
 
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この街道近くの神社です。
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 ~ 戦友の遺骨を抱いて今入る シンガポールの街の朝 ~
私達の年齢では誰もが知っている有名な歌です。
作詞はこの土地の出身者の 『逵原 実』 と言う方が シンガポール 攻略戦に従軍したときに作詞した
哀調のあるうたです。
この歌が流れる中を白い遺骨を首に掛けた戦車兵の戦車隊の入城する記録映画が有名です。
 
その記念石碑の横には
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鶴田浩二の「男三訓」の石碑もあります。
戦後は鶴田浩二の歌う「遺骨をだいて・・」が一番有名でした。
 
今では地元の人もほとんど知らない山裾の小さな神社です。
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明日・ 8月3日は 『英霊にこたえる会・三重県』 総会
に初めて参加します。
その資料を見ていてこれらの写真を思い出して載せました。
 
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20年前を思い出して

先日、酷暑と孫旋風を逃れて昔の家(生家・廃墟)に行きました。
       山中でも暑さは同じで直ぐに退散。
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かつての住居はイノシシ柵の外です
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懐かしい、自作のサイドカーの船がまだ壊れずにありました。
 
20年くらい前には無登録で走れていたのですが、無論公道ではありませんが。
家主    娘2号
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娘1号    娘2号運転
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娘2号  娘1号運転
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山奥のヤンキー!この娘達も今や40前のオバサン年齢です。
 
娘1号
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お局様と娘1号
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この写真を孫1号に見せようとしたら 「そんなみっともないもの見せるな、教育に良くない!」
と強烈に怒りだした、 やはりオバサンになると、この時代は消したい記憶のようです。
 
いつも  打たれっぱなし の家主は娘達の過去の弱点を見つけた!
今後 うだうだ文句言うたら 『孫にバイク乗ってた写真見せるぜー!』
と反撃できる、今日は暑いけど良い一日でした。
 
 
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先日5日のアホ朝日の記事

 
 
『従軍慰安婦記事は嘘でした』数十年経った今!
   今月8月5日朝日新聞が遂に自白!!
 
詳しい事は8月5日の朝日新聞を読んでください。
但し!買って読む価値なしのクソ新聞です! 図書館か何処かの待合室で見て下さい。ネットでも詳しく読めます。
 
内容は言い訳ばかりで日本国民や国の為従軍された方達の名誉を深く傷つけた事への謝罪はなし、やはりアホ朝日のままですが・・・。
 
内容はともかく朝日だけでなくテレビなどでも帝国軍隊は捕虜虐待をしていた・・、
などと未だに捏造報道し続けています。
自虐史観は日教組と共にテレビ等の報道関係も恥じらいなく捏造しています。
 
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ある番組で『泰麺鉄道』の捏造!捕虜虐待と現地人の過酷な労働を・・云々の報道。
 
国際ルール順守の事実の極一部として英軍捕虜の食事内容をここに書くと
 
昭和17年・柳田中佐(陸士22期)の発案で
 捕虜英軍大隊長、先任主計、軍医、8人の中隊長の計12名
 ほぼ同数の日本軍将校と鉄道隊の中隊長、時には小隊長も参加して、毎週 金曜日『俘虜常会』を夜2時間実施していた。
 内容は食事の事が多かった。内容の一例
 日本兵の肉は1日200グラムで捕虜は1日50グラムであったが捕虜側 から増量の意見が出て最終は捕虜の肉は1日150グラムとなった。
 短絡的に見ると日本兵よりまだ50グラム少ない、と思うが事実は捕虜の 肉を増量した分は日本兵から回していた、日本兵は1日100グラムに  なってしまった。
補給の問題で1日に1頭の牛を潰して食糧にしていたが・・1頭の牛からは日本兵と捕虜合わせて1日250グラムしか支給できなかった。
自軍の肉を減らしてまで俘虜に増量!これが英軍捕虜虐待??
 
終戦後の日本兵が収容されたチャンギー要塞監獄で日本兵に出された食事の定量内容は・・
 1食・一合五勺入りカップに乾燥ジャガイモ入りの塩粥、それに湯呑一杯 の 茶のみ、
 これが一日三食、肉など欠けらもない、将兵の楽しみは一日一回のシャ  ワーの時腹一杯の水を飲むのが唯一の楽しみであった。
 
マスコミや日教組のアホはどちらが『非人道的』か?分からない頭の病を持っているようです。
 
食事以外では・・
 日常の虐待などしたくても出来ない状況!
 捕虜一万人を見張る軍属は数十人、
 旧式の30年式騎兵銃だけの(日露戦争以前の銃剣も着けれないボロ銃) 軍属一人で数百人の監視では虐待などすれば逆に袋叩きにされたでしょ  う・・身長10センチ以上大きな英兵に小柄の日本人軍属が・・
 
その頃、鉄道連隊の将兵は現地作業員の先頭に立ってほぼ丸腰で敷設作業で現地人に混ざって遥か前方にいる。
 
     手記の抜粋からです、捕虜とは陰険な関係でなく協力者
     として捕虜・労務者を対等に称えているのが分かります。
 
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現地労働者の虐待・・・
 当時、現地労働者のタイ人は「労賃を纏めて支払ったその夜に300名が 逃走、4名のみ残って・・」と虐待どころか日本軍を金儲けのターゲット に・・
 マレー人・支那人・も建設協力は少し良い程度、ビルマ人のみが積極的に 協力してくれた。
 と言っても全て金銭契約をしたもので当時の日本兵から見ると「高級取  り」であった。
 
ここのような事実は、日本人・支那人・朝鮮人の全ての慰安所の女性も同じく高級とりであった、 (これは今の風俗嬢がサラリーマンの一か月給与分を3日で稼ぐのと同じです)
 
終戦で復讐裁判による刑死者27名!鉄道連隊2名、俘虜収容所25名、全てがでっち上げの内容です、が戦後の朝日などの報道は正に自虐追従の冤罪刑死者に対して恥ずべきものです。
 
アホ朝日の一人でも良いから鉄道9連隊大尉の弘田栄治遺稿『死ぬまで』を読んで頂きたい。
 
  この難所工事を成し遂げた弘田小隊長の知名度が復讐心に狂う
   英国軍に記憶されて戦犯にされたのです。
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尚・鉄道5連隊と鉄道9連隊の名誉のために泰麺鉄道の建設から完成まで全ての設計技術と建設技術は技術将校と鉄道連隊の将兵で成し遂げたものです。
 
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「戦場にかける橋」などの映画の影響で英国人の技術が云々は皆無です。
帝国陸軍当時から自衛隊鉄道部隊を経た今現在まで鉄道敷設技術は世界を凌駕しています。
 
     千葉の自衛隊に残る鉄道連隊の100式鉄道牽引車
 
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参考文献・広池俊雄著・泰麺鉄道ー―読売新聞刊
             岩井健著・C56南方戦場を行くーー時事通信社刊

終戦記念日に一言

 
8月15日終戦・・敗戦の日を終戦記念日とは不思議です。
 
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写真は本文に関係ありません
 
今日は「戦没勇士鎮魂記念日」です。
 
8月になると戦争中の「学徒勤労動員」の話が放映されます。
あの内容は極々一部の・・・0,0001%以下の時代に適応出来なかった人の話の誇大妄想が多いようです。
 
戦後に出会った「学徒勤労動員」の人達は全て!終戦直後に生まれ育った私の世代にいつも
<面白く楽しかった> という話ばかりです。
 
当時・旧制中学の人達の話ですが 
(この人は戦後国立の農大に行きました・頭の良い人でしょう)
 
『毎日学校へ行ってすることは軍事教練という兵隊ごっこで面白かった、機関銃を持ちたくて アミダクジ をした』
 
『工場動員は日勤より寮住み込みを皆が志願した、家を離れて友達と猥談出来るから』
 
『工場動員は支給の日当でいつも小遣いでポケットが膨らんでいた、中学生には大金で嬉しかった』
 
『いつも空襲を待っていた、警報が鳴ると女子工員の多い防空壕めがけて競 争、
暗いすし詰めの防空後で女の子に押し合いながら触っていた、女の子もキャーキャー言いながら楽しんでいた』
 
『一番いやな勉強をしなくても良かった、ちなみに成績不良で落第した奴は 皆無』
 
そして学徒勤労動員を悲惨で嫌がる人が居たとは思えないと言い切る、
「あなたも中学・高校の時時代に、Image may be NSFW.
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毎日学校で兵隊ごっこの授業だけ!
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今のバイトの数倍の日当を貰えて!!
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狭い防空壕では女の子に密着出来て!!!
 
これが悲惨な思いの青春?と言う人の感覚がおかしいでしょう。
 
戦後にボウフラのように発生してきた従軍慰安婦の捏造と同じ、
普通の社会に入れない困った人間が言い出したのでしょう。
 
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<感想>
99,9パーセントの勉強嫌いの中の私も楽しい時代だったと想像できます。
0,1パーセントの勉強好きの人はどのような環境でも立派に勉強の時間を作っています。
 
                  何処かに・・こんな美女 いないかなぁ~
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機関短銃❓短機関銃?

陸軍の名称は『機関短銃』と言って昭和10年に ≪機関短銃威力調査試験要領 ≫に南部式機関短銃が出て居ます。
 
海軍は陸戦隊の機関銃の代用に 「ベルグマン」 とスイスの「ソロターン・SI-100 」を輸入して『短機関銃』と言った・・・・
と大体の本にはありますが正解は知りません、ガハハハ・・・!
 
        写真上が試作2型     下が試作1型
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昔の写真では
右の赤→が試作1型です (天皇陛下に御見せしたときの写真です)
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2型です
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資料です
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他にも試作してます
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大体10~20丁程度の試作らしいですが・・・・
 
今日!
『日本の武器兵器』 須川薫雄 著
を見ていたらこんな写真がありました!試作1型にも違う形があったようです。
 
著作権があるので1枚だけ参考に・・・須川薫雄様に無許可です・お許し下さい。
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引き金の前から銃身の下に三角形の銃床らしい物があります
御照覧写真や資料にある、初期の図面には無いものです。
 
僅か100年前の事ですが資料以外にも色んな事実があるようです。
 
100年よりは多分新しい美人です
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一式戦と勤労学徒

勤労学徒ですが・・・最終組み立てに近い作業の生徒は、やりがいあったと言います。
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が・・・同じ勤労学徒でも部品製造に行った人は 『なんじゃこら?』 と思ったと笑って言います。
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そして・・・・
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       ・・・・ 隼は征く ~~ 
            大東亜戦争で戦場の飛行兵の平均寿命は僅か 4,1ヵ月 でした・・黙とう。
 
             国の為、 皆様がんばってくれました。感謝!
 
        戦争が終わって空の勇士の復員の姿です。
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≪ 昭和20年8月から9月に掛けてどこにでもあった情景です ≫
 
感謝を忘れてはいけない69年前です。
 
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人間としての感謝の気持ちを持てない社民・民主・共産のクソ達は先祖様は居ないのかなーImage may be NSFW.
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中島飛行機の20分1の模型

木製の模型です、生まれた時からの貧乏人の息子でプラモデル買えなくて・・・・
大工さんに木片・切れ端貰ってシコシコと削って作りました。
出来の良いのはヤフオクで売りましたがオークションに出さなかった未完作・・・・・
最近は作る暇がなくて塗装せずに棚に置きっぱなし。
 
ここを、孫が帰った時の勉強部屋(絶対勉強しないと思うけど) 兼 遊び部屋に・・・と
「お局様」と「娘1号」の不穏な計画/たくらみ があるらしい・・・私の生き甲斐の小屋が接収されそう!!
 
中の模型は最近の青少年は 「上げるから持ってきな」 と言っても 「こんなダサいの要らない!」 と冷たい返事!
 
オッサンの模型は最早ガラパゴス以上のガラクタとなりました。
 
今日はガラパゴス系のガラクタの展示です。
 
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奥が『二式単戦』 手前が『四式戦』  正面向きが『カ号観測機』 右上の前半分が『一式戦』
 
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「九七戦」の単浮舟試作機・・・二式水戦の予備試験機・・・ 右端 『九七戦』
 
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『九七戦』    『二式複戦』・・・昭和20年・辻本少尉の体当たり記事のコピーで塗装の代わりに貼ってある。
 
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『一式戦』 と 『二式単戦』
 
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『97式艦上攻撃機』
 
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主翼を畳んだ 『97艦攻』
 
そして・・メインのいつもの浴衣美女です。
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去年10月・別ブログ

去年10月に私の別ブログ ≪marugaripepu >>  に出した写真です・・・・
 
   ある イベント があって、その展示会に出して、そのまま貰われて行った模型です.
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趣味が無い人でも艦船模型は飛行機のように幅をとらないので飾って置くのにはいいようです。
 
その時、飛行機は二個だけでした、『二式単戦』 と 『99式双発軽爆』 でしたが・・・・
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持って行った人が 『零戦ですね、欲しいと思ってました』 と持って行きましたが
「いや、違います陸軍の・・・」 と言えづに 「へへへ・・」 と笑って黙認!
その人は今でも 『零戦』 と思いこんで飾っているようです。
まあ、同じ日本の飛行機だから良いかぁー。
 
あの人は 『99双軽』 は何んと言ってるのか・・・
まさか『YS11』と言って無ければいいのですが(苦笑)
 
これ去年の10月の≪ marugaripepu ≫ に載せた再掲です、スンマセン。
 
メインの美女です
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悪乗り し過ぎた模型

一時期ですが艦船模型にハマッタ時期がありました。
調子に乗って・・・最後は防空駆逐艦 『秋月型』 の100分の1を作ったのですが約1メーター20センチ、
 
さすがにデカくて普通の人は 「貰っても置き場所が・・・」 と敬遠されて、と言っても我が家の物置にも
相当厄介者状態、  今更壊すことも出来ずに、
 
孫に  「玩具に使いな」 と言うと
     「こんな長いのいらなよ」 と生意気にも東京弁で拒否してきた。
 
     その、狭い我が家には 「無用の長物」 として ”もてあまし” の 「防空駆逐艦」
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とにかく邪魔な存在です。
もっとも 「お局さま」 は 『造ったアンタがそれ以上に邪魔!』とおっしゃる。
 
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横の二等潜水艦 「ロ50」 が約40センチで部屋に置くのに手頃なサイズです
 
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教訓・ 『大は小を兼ねない』 という馬鹿オッサンの不始末でした。
 
友人は 「お前が今まで 家を追い出されないのが奇跡だ」 と感心しています。
 
「奇跡はそのうちに終わりますよ」と、お局様が友人に話している。
 
えっ・・・もしかして俺を・・・・追放・・削除・・廃棄・・
人生の秋がきて直ぐに冬、オッサンの人生も冬に向うのかなぁ~。
 
昔の美女と言ってるけれど大丈夫かなぁ~・
 
大昔の、この八重歯の笑顔も
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30数年経って
100㌫面影皆無!!いまでは我が家の『お局様』・・
あの八重歯は今や 鋭い牙 となってます。
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若者に一言
綺麗・可愛いは一瞬です、あとは 耐える だけですよー・
 
 
 
 
 
 

明治37年8月31日・橘中佐

 
明治37年8月31日・・『頃は8月末つ方~』・・で始まる軍歌「橘中佐」で良く知られています。
 
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この方は本当の軍神の称号に値する卓越した将校でした
 
詳しくは書きませんが・・偉業については無学の私がウダウダ書くより知って居る方が
遥かに多く見えます。  よって詳細は省略。
 
二種類ある 「橘中佐」の軍歌について書きます。
 
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軍歌の歌詞には戦況から戦死に至るまで手に取るように分かります。
 
もう一つは、軍歌では無く、小学唱歌の橘中佐は悲壮悲惨な歌詞と曲です
このような悲壮な歌を小学生が歌っていたことが信じられない歌詞
 
『 屍は積りて山をなす  血潮は流れて河をなす
修羅の巷(ちまた)や沙恩水 ・・・・・』
 
軍隊で歌う 『遼陽城頭夜は長けて 有明月の影凄く・・』 の「橘中佐」
の方がい勇ましく明るい感じで、小学生(当時の)に良くわかる歌だと思います、
 
軍歌 「橘中佐」 と 唱歌  「橘中佐」 をユーチューブで聴いて見ることをお勧めします。
 
唱歌の『橘中佐』の静かな旋律の深く凄惨な情況がしのばれます。
軍歌の『橘中佐』は勇ましい旋律と同時に首山堡の刻々と変わる戦闘情況が歌詞前1・後2を
読むだけで橘中佐や内田軍曹の奮戦から戦死までが精細に分かります。
 
私はユーチュブの転載アップのやり方が分かりません。
是非二つの『橘中佐』をお聴きください。
 
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今日は110年前・ 橘中佐 戦死の日でした 

幸運な『宗谷』

 
 幸運な『宗谷』のお話です。
ただ幸運だけでなく乗員の訓練の成果ももちろんありますが!
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綺麗なイエローの南極観測船のネービーグレーの軍艦時代の姿
 
 
この戦後も南極で有名になった艦の簡単な極一部の略歴です。
特務艦(測量、輸送、砕氷を行う測量艦)で、横須賀鎮守府部隊付属となる。
 
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≪幸運の1≫
昭和18128日クイーンカロラインで測量海図の仕上げの最中の午前655分、敵潜水艦から発射された魚雷4本のうち1本が右舷後方に命中するも、幸運にも不発弾であったため難を逃れた。
  宗谷甲板で不発魚雷を囲む海軍将兵の写真
 
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≪幸運の2≫
トラック島空襲では217日、回避行動中に座礁し、翌18日には空襲で米軍機1機を撃墜するも副艦長を含む9名が戦死し、天谷艦長も負傷し総員退艦命令が出た。 19日、満潮と共に宗谷は自然離礁し、仰天した乗組員は再び艦に乗り込んだ。
こうして宗谷は奇跡的に脱出に成功する、まるでドラマのようです。
( 当時の艦長天谷嘉重大佐は責任をとわれ228日更迭、昭和191216  日に拳銃自殺された、これは残念な出来事ですが・・黙とう)
 
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≪幸運の3≫
、横須賀に帰港し第六次輸送任務完了その後ドッグ入り。82日、横須賀でドック入りしている時、戦艦長門、病院船氷川丸と共に空襲を受ける。敵機が投下(捨てた)したガソリンタンク(増槽)が宗谷の機関室に飛び込んできたが、ボイラーに火を入れていなかったため爆発しなかった。
旧式の石炭ボイラーだったのも幸運の一つです。
 
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≪幸運の4≫
昭和20年8月6日の夕方、第七次輸送任務のため室蘭に向けて単艦で出港した。
 7日早朝、敵機動部隊に接近されるが霧が濃くなり、その霧に包まれた宗谷は八戸港に逃げきることに成功。
この霧は乗組員に神の衣と呼ばれた。
この敵機動部隊はこのあと女川港を空襲、
米英連合の機動部隊の攻撃で三陸沿岸横須賀防備隊所属の女川港の「女川防備隊」の「天草」「大浜」「四十二号駆潜艇」「三十三号掃海艇」が沈んだ。
 
      戦場に残る将兵の復員船となった「宗谷」
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そして終戦。戦場から復員する将兵の輸送に従事、
海上保安庁の補給船として灯台などの物資輸送船として活躍。
 
砕氷能力を利用して 南極へ・・・この時石炭から重油ボイラーに改造。
 
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≪大発見≫
1958年に第1次南極観測隊員を送り届けた海上保安庁「宗谷丸」の船長、松本満次氏が目撃した「南極ゴジラ」である。
 
 松本船長が目撃した南極ゴジラは、南極の水面から黒い頭をひょっこりと出し、馬か牛のような輪郭に頭頂部分が丸く猿のようにも見え、全身を覆った体毛は黒褐色で10センチほどの長さ、髪形は子供のおかっぱ頭のようにもみえ、大きな目、とがった耳が2つずつあったという。
「南極輸送記」(著・松本満次、1959年・創元社発行)の「南極の七不思議」の4番目の項「ゴジラ」には目撃の詳しい経過が記されている。
  
        その時の想像図・・・多分巨大なアザラシなどでは・・
         と言うことです。
 
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 その時の様子・・Image may be NSFW.
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 『宗谷丸のブリッジでは、松本船長ほか数人の船員たちがくつろいでい   た。時間はちょうど午後7時を回っていたが、思いのほか明るかったと  記録されている。そのとき突如として、宗谷丸の先方に黒く巨大な物体  が船の近くに浮かびあがったのだ。その物体と宗谷丸の距離は約300  メートル、海の男ならば十分、目視観察できる距離である。
  当初は、先行する船の捨てたドラム缶ではないかという意見が出された  が、風速7〜8メートルの中で、空になったドラム缶が海面で垂直に立  つわけがない。全員が凝視する中、その物体が宗谷丸の方に振り返っ   た。
  「すわっ、怪物か」
  一同が騒然となり、当直航海士はすぐ手元の双眼鏡で観察を続け、機関  長は大急ぎで、自分の部屋へカメラを取りにいった。だが、戻ったとき  はもう、怪物は船の死角に入っており、撮影はできなかった。時間にし  て、約30秒くらいは見えていたという。
 
尚、当時の乗員は殆ど帝国海軍の出身で対潜哨戒の熟練者で見誤りなどは考えられない。
 
これが『幸運な艦』の話の極一部です。
  除籍後もスクラップにされることなく岸壁で保存される幸運な『宗谷』の姿
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 次は世にも不運な山奥の小学校の話です
 
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