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究極の運のない悲劇・八知の7人

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M県の山奥のそのまた山奥の話です。
昭和20年7月24日・・・この日は米軍のB29の大編隊が日本の軍事施設・工場をほぼ壊滅させていたが、
さらに執拗な空襲にサイパンから飛来、紀伊半島沖で阪神・中部などに分散、各編隊80機前後に分かれて爆弾を降らせた。
 
まず不運の最初
写真のように山と渓以外何もない僻地の小学校の子供たちは上空から見えないような小さな校舎から出て
更に深い山と谷に薬草の採集に出かけた、この日は桑名の中島飛行機工場に76機の空襲があったが、
遥かに離れた山奥は空襲など無縁である・・はずだった。
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この山中にいくら資金も物資も豊富な米国でも無駄に爆弾を落とすはずがない、
まして3000キロのサイパンから積んでくる貴重な爆弾を何もない山奥には・・
一発が95万円から180万円の高価な爆弾をタヌキも棲まない山奥には・・
 
多分子供たちは薬草を採集したり渓の水に遊んだり・・と勉強をせずに山遊び
を毎日出来る戦時中の日々を喜んでいたと思う。
 
不運というのは偶然に重なるようです。
 
阪神方面の川西飛行機工場を爆撃した内の一機が投下機器の不具合で爆弾1発が機体から
離れなかった、神戸上空から離脱して大台山系を跨いで伊勢湾にでて、他の編隊と合流する
その帰投のコースの下は鬱蒼たる山中である。
 
サイパンまで帰り着くために、機体を軽くする、そのために機上では故障排除に必死であった、
 
そして、ついに落ちなかった爆弾が外れた。
爆弾は人跡未踏の山中に落ちていく、
そして爆発した
「1万ドルで山に穴を作っただけだ」 と危険な爆弾を落として軽い機体でサイパンに帰投するB29
 
そのようやく機体を外れた爆弾は・・・・
不運な偶然である、その下に居たのは国民学校の7名の子供!
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私は運の悪い人の典型がこの「八知国民学」の7人だと思います。
今は過疎で廃校ですが」往時でも複式学級の少数の学童でした。
 
前回の 『宗谷』 の重なる幸運と比べると、天文学的偶然の爆弾で無くなった7人の子供
こそ、慰めようもない『不運』の事件だと・・黙とう・
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昼なお暗い道の更に奥です、不運な7人でした。
 

捏造朝日

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     ≪ 捏造朝日新聞 ≫ ですが
 
国際版にも訂正記事を掲載せず、 日本中の国民/特に大陸に従軍された方々に謝罪もしない。
 
クソ朝日と言うと「クソ」にも失礼な朝日は・・・・と常識ある国民は怒っています。
 
     が・・朝日が支那と朝鮮の手先になったのはいつからでしょうか?
       戦前は やや左寄り と言っても普通の新聞社だったようです。
 
       私が資料写真を調べていて気付いたのは!
 
           この「軍神・加藤健夫少将」の記事は 朝日 でした。
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この写真も アサヒグラフ
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これも朝日新聞
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これらの新聞記事や写真が今の ≪クソちゃん≫朝日 には面影もありません。
とにかく「謝罪」をして、もう一度この時代にもっていた プライドを取り直して下され。
加藤部隊長も怒っておられますよ
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クソ朝日はこれ位にして隣国の事
 
近代技術・経済・文化 を貰って、その上莫大な資金援助をもらいながら
日本から万事に恩恵に浸りながら いつまでも『金出せ』 『謝罪しろ』 と叫び回る国家。
 
この二つの隣国の事を私の地方では昔から 本弘タイプ と 末広タイプ と言っています。
語源は不明ですが・・言い伝えによると多分、
・・・・俺が一番偉いのだ、恩人でも利用した後で潰す・・・という本弘某という夫婦が居たようです。
・・・・俺より得する奴は恩人でも・・何が何でも金を得るためなら・・・と言う末広某が居たようです。
 
どちらが支那人の同類でどちらが朝鮮人の同類かは読まれた方にお任せ致します。
 
大切なのは、支那人も朝鮮人も良い人も沢山居ますから一括りに言ってはいけません、
だから、言っていいのは伝説の悪人の名前・本弘タイプ・末広タイプ・の呼び方にしています。
 
クソ朝日は謝罪して本弘タイプと末広タイプの呪縛から覚めて下さい。
戦前の 『良い新聞・朝日』 に復活して下され。
 
これも朝日の広告ページからです。
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追・・・・・妖怪「本弘」・「末広」は私の別ブログで去年載せてます、
   但し、あまり面白くも楽しくもない「自己中妖怪」達です。
 
 
 
 
 
 
 

9月13日・明治大帝の御大葬

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もうすぐ   9月13日
明治天皇の御大葬の日です。
 
 この日、乃木大将夫婦が殉職したのは大体の日本人は知って居ます。
 
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乃木と言う人は『軍人』としての才能・能力・指揮行動は×××の
人でした。
同じ長州の天才的な戦術眼の参謀総長・児玉源太郎と正反対の能力です。
 
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乃木さんは軍人は完璧な落第生ですが・・漢詩文は正に天才の
文学者でした。
明治天皇に殉じた事で漢詩のみが有名になりました、これぞ
『芸は身を助すく』??
 
≪ 私は 自衛隊に行きたかったのですが、学力・知略・武力・体力が
全く無く・・
  せめて文系で~と思いましたが完璧なアホ で結局はド田舎の
オッサンで一生終わるしかありません・・
    あまり乃木さんを悪く言えませんが・・・・・    ≫
 
話は戻って、9月13日です
大葬の日、乃木の警護責任者に任命された 森慶次郎 憲兵曹長は
時間が迫って来るが自宅から出て来る気配がなく・・やむなく乃木邸
に入った、そこで殉死している希典・静子を発見した、
しかし沈着で適切な森曹長の手配で明治天皇の御大葬には支障がなく
執り行えた。
 
この殊勲甲とも言うべき森憲兵曹長は東京憲兵隊本部で信頼が篤かった。
森慶次郎と言う方は写真の嫌いな人で、後の豊里村の村長時代の写真
も全くありません。
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唯一ある森憲兵曹長(前から2番目の背の高い人)
手前は甘粕憲兵大尉
 
余談になりますが、この東京憲兵隊での信頼の強さが逆に森曹長の
不運(幸運だったかもしれません)になるのです。
 
後の関東大震災の時に大杉某と内縁の女が誅殺されました。
( 大杉某は今でいう「国家テロ」「企業から金を搾り取る
無政府主義」の輩で表向きはフランス文学翻訳者・・現代風
に言うと内縁の○○と言う所まで福島某♀に酷似してます )
 
その凶悪の輩の大掃除をしたのが東京憲兵隊本部付で渋谷憲兵隊分隊長兼
麹町憲兵分隊長の甘粕正彦憲兵大尉と憲兵本部の森慶次郎曹長達です。
 
この事件の責任をとる形で二人は民間人になりました。
その後、甘粕元大尉は満州映画(今の東映の全身)理事長となり
満州の影の支配者となりました。
 
森元憲兵曹長は故郷の三重県安濃郡豊里村(現・津市豊里町)の役人
となり、大東亜戦争の始まる前から終戦後まで村長を務めました。
地元の人々はいつも笑顔で長身の姿に『森慶さん』と親しんでました、が
三重県庁の役人たちは『ピストル村長』と呼んで畏怖しいていました。
 
 
奇しくも、両国士、甘粕・森の二人の原隊は同郷の久居連隊でした。
森慶次郎は初年兵時代を33連隊に名称変更になる前の51連隊です。
 
甘粕正彦は士官学校を出て見習士官・少尉と33連隊で過ごした。
 
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9月13日・明治天皇の御大葬から森慶次郎憲兵曹長の足跡の抜粋でした。
 
 
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古い古いプラモデル

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大昔と言っても良いくらい前のプラモデル
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孫と夏休みに一緒に・・・と思って物置から探し出してきました。
私は自作の 20分の1 模型は作りますがプラモデルは細かく❣部品はさらに細かくて
ギブアップのまま数十年放置していました。
 
所が孫も全く興味無く・・・・箱の積ったホコリを綺麗に取ったのに(涙)・・・
 
昨日、ヤフーオークションに出品、
 
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次の2個は更に小さくて72分の1
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 なぜこのような細かい模型を買ったのか未だに不明!
 
 あまり人気のない機種を選んだ自分が未だに不可思議!
 
  作る気もないのに持っていたのか更に不明!
 
と・・つくずく不思議な思考力の自分に呆れて居ます。
 
孫にまで拒否されて・・ようやく処分決心。
 
もし、興味ありましたらヤフオクの「ミリタリー」の「その他」に写真もっとあります、見て下さい。
 
しかし・・『48分の1』 ならまだしも 『72分の1』 となると精密な工作の才能が
必要だと思います。 私のような普通人(普通以下人?)には無理なのだ!と
プラモのメーカーも分かっていないようです。
 
 
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有名な 『一式戦』 を何故買わなかったのでしょう。
≪ 答え・・私が馬鹿だからです ≫
 

バイクで山中走行

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ようやく涼しくなって来たので
久しぶりに近辺の山道を試運転
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休憩のたびに写真撮るが・・・人気が全くない!
撮る場所も道のやや広い所・・バックには木と雑草でどこで撮っても同じ景色(苦笑)
 
谷川で「沢ガニ」を見つけたて写したが・・・流れの反射ではっきり分からない
思うのは「沢ガニ」もアベックなのにオッサンは一人で山中放浪・・
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ドライブレコーダー を付けて熊でも出会わないかと思ったが・・・猿も居なかった・
 
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山奥の立木にも美女は居ません(残念)
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ガラクタ

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物置にぶら下がってます。
稽古用の槍です、二間槍と聞いてます。
父も祖父も曽祖父も使ったことなどありません、たぶん熊除けのマジナイでは?
たぶん乾燥しすぎて使い物 (こんなもの使う人居ないですが) ならないでしょう。
 
  オークション出すにも 長すぎて・・・・もっとも入札する変人もいないでしょうが(涙)
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庭の、昭和の埴輪
モグラの兵隊さんですが
1・2・3・4 と立てた鉄砲に銃剣をつけて突くまで  相当正確な姿です。
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A はタバコ吸ってます  B は水筒の水飲むところ  C ハーモニカ吹いてます  C 狙撃手です
 
      物置の片隅の模型用の作業台・・・・最近は全く使ってません
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今や、錆びとホコリの糸鋸です。
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処分するにも労力皆無で放置! 我が家の昭和のゴミです。
 
そして! 私をゴミ扱いする「お局様」
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「いつか粗大ゴミに出すから」と言うのが口癖の夜叉嫁
 
テレビ見たら、こんな可愛い女の子が出てました
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拡大したら・・・オッサンの単なる錯覚かな?
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ツーリング中止してぇー!

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久しぶりの爽やかなバイク日和が続いてます。
行く宛ての無いオッサンライダーは・・・・・いつもと違う山道に
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山中の集落 ( の跡かな?人間は居ません) 明治38年建立の石柱を発見。
 
五穀豊穣の石柱も・・・良い時代だったのでしょうが・・今や人間の姿無し。
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谷底を流れるから、谷川?
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水溜まりで、生き物発見!
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のんびり走っていると娘2号からメールが!
『今日はアサリちゃんの命日、お参りして花活けたって』
昔、娘が飼っていた雌犬の命日を知らせてきた、怖い娘2号の命令!
 
仕方なくツーリング中止、急いで1時間半の道を引き返す。
何故か・・我が家の娘達は父親に命令するのです・・・
「お局様」のDNAはしっかりと繋がっているようです。
 
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裏に停めたツーリングリタイアの愛車、無念!
 
今は亡き二匹の写真です。
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右のブチがアサリ♀です、横はペプシ♂ 兄弟でしたが、優しそうに見えるアサリ♀が完璧に支配してました。
我が家の宿命! ♂・男には従属・服従のみ!の家系です。
 

三式指揮連絡機の映像

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三式指揮連絡機
先日、「ユーチューブ」見て居て発見!
富士か?何処かの演習場で地上軍の指揮をする三式指揮連絡機を見つけた。
 
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元々は名前のとおりの機体ですが・・完成が遅れて・・結局は陸軍空母に
搭載、爆雷を積んで対潜哨戒機となって・・・・
 
陸軍航空母艦『秋津洲』と飛行甲板の三式指揮連絡機 3機見えます。
 
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対潜哨戒に変身! 漫画家の 『わち さんぺい』 さんの雑誌記事にあるとおりです。
 
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『わち さんぺい』 さんのイラスト2枚です
雑誌「丸」より
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このような ≪対潜≫ の使用だけ、と思っていたが・・違いました!
地上での連絡訓練中の写真です。
 
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前方からの写真、「わちさんぺい」さんのイラストとそっくりです。
 
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本来の地上軍との共同作戦の訓練機も実際にはあったのです。
完成が遅れて違う用途に使われた不運な飛行機と言われてますが!
開発時点の本職でも頑張ってたようです(喜)
 
以前作った模型です (今は友人の所です)
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「カ号」観測機

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カ号観測機
変わった飛行機・『三式指揮連絡機』のついでに・・
『カ号観測機』をすこし。
 
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最近は変なマニアさんがいて結構知られてるようです。
陸軍の航空隊の飛行機ではないので『キ○○』はありません。
最初は『砲兵隊』の弾着観測用に萱場工業で製作されました、だから頭に『カ』と言う説もあります・・・別説では砲兵観測の『カ』・・他にも諸説あります。
 
初期には『砲兵将校』が操縦(後席)と観測(前席)で訓練始める予定が・・・
大東亜戦争の定番! 戦局の悪化で対潜哨戒に!
三式指揮連絡と同じような海上での潜水艦相手に変更です。
例の陸軍空母「秋津洲」に搭載されて、運用と操縦は『船舶工兵』の将校になりました。
前席には乗らずに爆雷を積んだと言うことです。
石川県の海岸辺りに展開した部隊(何処かの学校の校庭)では前席にも乗員が乗っていた (ようです?)
 
発動機(エンジンと言うより響きが良いです)液冷式と空冷式がありました。
 
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始動から飛び方は<ユーチューブ>を見て下さい、回転翼には独立の動力はありません。
結構原始的な構造です。
 
始動には一人がペラの上端を手で固定して。
圧縮の歯車に付けたロープを数人が10メートル近くまで並んで引いて行きます。
ロープを一杯引いた所で、もう一人が固定していた手を放すと・・・
プルプル~ブル~ン
発動機の回転数が上がると回転翼につないで・・揚力が付く回転になるとクラッチ入れて
前方の推進ペラに繋いで、回転数を一杯にして前進(滑走)2~30メートルで離陸!
機体上の回転翼は機体前進の風圧で回転して揚力を発生するだけです。
まるで嘘のような オートジャイロ と言う飛行機です。
 
いつもと同じく暇でアホの私は<20分の1>の模型作りました、
横の『4式戦』と比べて下さい、そうとう小型なのが分かります。
 
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途中で飽きてしまい塗装は中断のままですが・・奇妙な形です。
 
 

名曲・「夕日と拳銃」

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名曲『夕日と拳銃』
 
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満州馬賊が愛用していたモーゼル拳銃
 
大昔ですがテレビドラマに「夕日と拳銃」というのがありました、
まだカラーでは無かったと思います。
 
壇一雄著・満州馬賊の「伊達順之助」の伝記小説です、
小説では『伊達麟之助』と変えてありました。
伊達家の血筋・(宇和島藩主伊達宗陳候の次男 説 と水沢藩主伊達宗敦侯の三男 説 )
 
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順之助が満州の活躍から終戦で銃殺されるまでの物語です。
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小説を読んでいた私にはドラマ内容は全くの駄作ドラマでしたが主演の工藤堅太郎?は熱演してました。
 
内容は兎も角! 主題歌が素晴らしかったのです。
(主題歌ヴォーカル・ショップ・作詞・夏  五郎、作曲・渡辺 岳夫)
 
その曲が、なんと!テレビ漫画・「巨人の星」の主題歌として復活、未だにフアンがいます、
  ~おもいこんだらぁ~  という馬鹿丸出しの歌詞ですが・・
  (ちなみに 私 阪神タイガースフアンです )
 
音痴の私にも
.≪ 曲は「巨人の星」にそっくりだー!パクられた-! 
 と思いましたが、パクりというより、作曲の渡辺岳夫が両方に
 使っただけ・という有名な曲でした ≫              
 
ユーチューブなどで探しても「夕日と拳銃」の主題歌はないようです。
仕方なく「巨人の星」の曲だけでもないか、と探しても・・クサイ歌詞付しかありません。
少年飛行兵の『空行く昭和の桃太郎』と、この『夕日と拳銃』は未だに見つからない、
私には幻の名曲です。
 
昔のテレビドラマ「夕日と拳銃」の主題歌の歌詞です
音感の良い方は「巨人の星」のリズムで歌って見て下さい、必ず感動します。
 
1.           満州広野夕日をあびて思いえがくは何事ぞ
国の山河か同胞かアジア大陸駆ける夢
いざゆかんいざゆかん理想に燃えていざゆかん
 
2.           日本にゃ棲めぬ男の命流れ流れて大陸へ
君よ嘆くな何時の日か二人相見る時もあらん
いざゆかんいざゆかん涙を払いいざゆかん
 
3.           蒙古の原に砂塵をあげてゆくは男の血がたぎる
風にルパシカなびかせて今じゃ馬賊の旗頭
いざゆかんいざゆかん希望は高くいざゆかん
 
4.           黄緑江と黄河の流れゴビの砂漠に吹く嵐
骨と心を埋むるに何の不足があるものか
いざゆかんいざゆかん命の限りいざゆかん
 
・・・・余談ですが・・・
昭和20年9月29日から支那軍の裁判がありその半月後に銃殺になりました。
最後まで持っていた小型のモーゼル
 
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真異は不明ですが「銃殺には俺の愛用の拳銃でドンとやってくれ」と言ったそうです。
又自分の心臓の所に枯葉を付けて「ここを撃つんだぞ」とも言ったと言われています。
伊達順之助は身長180センチ以上で当時では巨漢でした。
また当時拳銃の名手と言われて「天才的拳銃使い」として
国士・海賊の江連力太郎の「真剣」と並び称されていた。
( 今でも江連流『棒術・ステッキ術』は伝承されている )
 
幻の名曲・夕日と拳銃・でした。
 
            本文に全く関係ありませんが・・・戦場の美女、勇敢な看護婦さんです
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10月彷徨

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10月になりました。
世間は行楽と観光のシーズン・・・それと火山の爆発!
 
いつもの爺は一人で寂しく・・・( ター♂ は後足脱臼・・爺友人二名は入院中 )・・・
 
      ショボク、チャリンコをボロジムニーに積んだ。
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何とか、爺エサと寝袋を一緒に積んで・
 
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「帰ってこなくていいよ~」 という愛情一杯の お局様 の声に送られて・・
内心では 『 俺は特攻隊とちゃうゾ~、帰ってこさせてよ 』 と言いながら出発!
 
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チャリンコを組み立てて
山中で ボロジムニー から暫しのお別れです。
取り合えずトロトロ走っていける所まで行く。
 
ここで・・・・残念!娘2号にもらったカメラが電池切れ、
 
充電忘れた、いつもの自分カメラの単三4本のつもりでスペア4本持ってきた!!
普通に考えれば小型過ぎて電池入るスペース無い事に気付くが・・ボケオッサン。
 
中と半端ですがお終いです。
 
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忠臣蔵の大嘘・2

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忠臣蔵の大嘘―2
 
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大石内蔵助はいつの間にか小説でも芝居でも忠義の鑑、武士道の塊のように描かれているが実像は前出のような色欲のみで狡猾な男であった、武士道では最も卑下すべき姿。
 
大石 自信は身に覚えのあることで幕府の自分への評価はうすうす知っていた、
大石の心配とは・・・
  ・主君浅野切腹後はなんらかの理由で家老の自分も不名誉な処置を下される・・
  ・その心配は現実に迫りつつある・・・どうしようか・・・
主君浅野切腹の後は自分への不名誉な処分が下されるのは狡知に長じた大石自身にも分かっていた、
大石は駄目元で主君の弟・浅野家再興を届けたが・・本心では無理と知っていたようである。
 
対する幕府は『叔父、甥と、人を切りつけるような凶暴な血は弟にも流れている、再興して又弟が刃傷沙汰を起こすと幕藩体制に庶民が反発する』早い話
幕府の処置は『異常者の弟には藩主はアカン』と云う事になった、
ここまでは封建時代では当然のことである、
 
こうなれば・・・と、主君の切腹後も遊蕩三昧に浸っていたが破れかぶれ・・どこまでも未練がましい大石という男である。
大石は一生一代の大博打を打ったのであろう、それには単純な四十七人の失業した家来を連れた雪の降る深夜、夜明け近い時間の凶行であった
大石率いる浅野の家来は失業の恨みを自分達の事件の最大の加害者である主君や間接的な失業の責任者の幕府より『被害者』の吉良に向けるしかなかった、
 
惰弱な元禄に馴染み過ぎた家来達は幕府に反抗する正当な理由も度胸も無かった、
こうして暗黙の折中案・吉良が全て悪い・・吉良悪人説が捏造された。
  朝日新聞の従軍慰安婦捏造の元禄版です!!
こうして世にも不幸な吉良の老人は人生の終わりかけた歳で二度も無抵抗のままで斬られた、その上、死んでからも首を加害者浅野の墓前で突き刺されたのである、
理不尽に殺された上に今度は『遺体損壊』の犠牲にまでされた。
国許吉良では限りなく善政を敷いた良き殿様は全く何の瑕疵もないのに・・・
 
日本史上でも三度の凶行に遭遇する稀有な犠牲者となった、
悲惨にもその家来達も寝込んで2~3時間の意識も体力も脱落状態の時に鎖帷子と甲冑を付けた赤穂の浪人に四~五人で囲まれて一人づつ必要以上に切り刻まれていた。
ドラマの殺陣と全く違うリンチ殺人であった。
あとで検視役人が浅野の家来の顔も体型も確認出来なかったほどの死骸、残骸に検視を諦めたほどであった、惨状は正式な死体の人数が推定だけなのでも想像できる。
悲惨なのはその上、二百年以上後にまで主君と共に悪人として芝居にされている・・・・
 
ここまで悲惨な人生はシェークスピアでさえも考えなかった悲劇である。
また大石以外の浪士達は失業で自暴自棄になるより『それらしい名目』にのせられ凶行に走った心情は哀れでもある。
結果は『義士』と称えられても結局は切腹で人生は終わってしまった、
 
泣いて死のうとも笑って死のうとも死んでしまう本人には無限の闇に沈んで
消滅するだけである、おそらく宗教で言うような死後のバラ色の世界などはあるはずもない。
 
宗教でもっともらしい事をいっても実際に見に行って帰った人は居ない、本当は何も無くなってしまうだけだろう(私もあの世に行った訳ではないから確言できないが)
大石に乗せられた浪士と呼ばれる加害者達も哀れな一生で終わった。
 
その意味では吉良老人も封建時代の常として職務上では上司として知らずに『いじめ』をしていたかもしれない、
しかし雪の降る夜に集団で乱入してきた四十七人にリンチ殺人されるほどのものでは無い。
ちなみに殆んどのマスコミも吉良さんが有能で優しい『名君』であったのは知っている、( ただ知らない人がいれば歴史を勉強しなかった唯のアホです )インターネットでも驚くほど大量の書き込みが『吉良さんは被害者だ云々・・』と投稿されている、
 
それでもこのような異常な集団殺人を毎年変わらずに放映するのを止めないのが不思議でしかたない、
日本のマスコミ全体が元禄十四年から現代まで集団馬鹿になっているのはクソ朝日新聞の捏造まで続いている、私には全く理解不能である。
 
 
これが年末恒例『雪の深夜、集団乱入惨殺事件』の本当の話。
最低でもこれらの事実を知った上でこの集団殺人事件を見ていれば見方も変わるでしょう。
いづれにしても吉良の老人には全く不幸なことです、
それは浅野の家老に大石という男が居た為の不幸である、
自分のふしだらな生活をごまかす為に大石は一生一代の大博打を打った結果の行動、
それは単純な四十七人の失業した家来を引き連れた雪の降る深夜、夜明け近い時間の凶行であった。
結果は大逆転、大石の思うとおりに自分への評価は180度の変化である。
『忠義の集団を指揮した素晴らしい家老・大石内蔵助』の虚像が出来た。
この大石が自己の色欲遊興の出来なくなった果ての凶行、
理不尽の極致、吉良と言う最初の『被害者』を集団で殺害する、
 
日本では古くから「あだ討ち」はあったが全て同情すべき
『殺害された被害者の親族による復讐』を「あだ討ち」と言った、
現代でも凶悪な事件の被害者には「あだ討ち」をさせてやりたい思いがする、
しかし大石達四十七人は主君の浅野に切られて『傷を負わされた被害者』を再び襲って殺害した、暴力団の執拗な御礼参りである。
これでは「あだ討ち」ではない、執拗に被害者の老人を再度襲って殺しただけである、
前に書いたとおり吉良の殿様は善政を敷いて領民に尊敬されていた老人である、
今も吉良町では善政の証が方々に残っていて現在も尊敬されている人物である、
遊興三昧に歓楽街で遊び狂っていた大石と比べるまでもない人格の相違である。
馬鹿殿・浅野の若者は心身の病気だったという事で別にしても「忠臣蔵」とは意味不明である、
 
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「もしもあの時」は歴史学ではタブーとされている・・・・
しかし!あえて思うのは
『もしも大石達の討ち入り後に吉良の家来が大石達を襲撃して誅殺していれば』
それこそ本当の『あだ討ち』である、
 
主君への度重なる「殺人未遂傷害」と「殺人」と「遺体損壊」にたいする「正当なあだ討ち」が成立したはずです。
以上のように浅野と吉良と大石の三者の背景、状況から調べると年末恒例の
忠臣蔵とは矛盾の上に矛盾を重ねたフィクションに過ぎない、
だが人物が実名である以上は善者と悪者が全く逆になっている事を真摯に考えなくてはいけない・・と再度思ったのは朝日新聞と言う捏造マスコミの警鐘を込めて。
 
        お終いです。 美女で目を休ませて下さい。
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忠臣蔵の大嘘・1

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 ボロボロの蒔絵は我が家にあったものです、なぜ有ったのか不明。
   (ヤフオクに出しましたが入札0 で知人に無理やり進呈しました、多分知人も処分に困ってるでしょう)
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忠臣蔵の大嘘―1
毎年年末になるとテレビに登場する江戸時代の四十七人のテロ物語、
それは忠臣蔵と称して『あだ討ち』といっている真っ赤なウソの不思議な物語・・・
 
そもそも『あだ討ち』とは昔から『理不尽に殺害された遺族が加害者に仕返しする』ことである、
 
誰も殺害されていない赤穂藩の四十七人が『あだ討ち』をすること自体ありえない、
 
元より、吉良の老人が赤穂の浅野の殿様を殺害した訳ではない無いから、
逆に浅野に怪我を負わされた吉良の老人は被害者である、
加害者の家来が被害者の老人を再度襲撃して殺害したのを『あだ討ち』とは言えない。
 
冷静にみるとその異常さに気づくと思う、
 
その前に浅野の若い主君について時代の背景をみてみる、
類似した事件が以前にもあった、
 
それは三重県の鳥羽藩、九鬼水軍の流れを引く九鬼氏が鳥羽城主であった、
その九鬼が内紛で国替えにされた後に常陸真壁から内藤氏が来た、
その内藤家城主の三代目、内藤忠勝が幕府の菩提寺、芝増上寺で行われた法会のさい永井尚長に斬り付けて切腹となった、当然内藤家は断絶となった事件があった、延宝八年(1680)
この忠勝の姉の息子、すなわち甥にあたる若者の浅野某が元禄十四年(1701)に松の廊下で老人に刃傷事件を起こした、
驚いたことに僅か十一年の間に起こった二度の刃傷事件は血縁者が起こしたのだ、
 
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 浅野が切り付けた理由は後世の作文で事実ではない、
1)『賄賂説』・・当時も今も高級官僚には悪いことではなく普通に行われていたので理由には当てはまらない、
なお悪質な賄賂が盛んになるのはもっと後の田沼意次(1719~1788)の頃からである、元禄の頃では賄賂というより挨拶代わりの『御歳暮』『お中元』程度の微細なもので理由にすること自体無茶な話しだ。
2)『赤穂の製塩技術』・・この説も当時の製塩は製法ではなく海水濃度や日照などの地理的条件に左右されていたのでこの説も全く概等しない、
 
1)2)のように、理由とされている二つの話は後世の作り話に過ぎない。
 
ではなぜ浅野の若い男が吉良の老人に刀を抜いて襲いかかったのか、
理由は無い!!法律用語で言う『因果関係』はないのだ、
大した理由なく突然老人に切りつけただけである、ただその蛮行原因は十数年まえの叔父と同じものである、内藤の叔父も浅野の甥も同じ精神的な持病である、
当時は「痞え(つかえ)」といった病(やまい)、
今で言うと「理由もなく自制心が切れる、切れると凶暴な行動をとる」
当時は乱心した・・といわれた、
 
この時乱心した若者に切りつけられた老人は刀を抜かず全く抵抗しなかった、
狂った若者にただただ堪えたのである、よく言う『喧嘩両成敗』も成立しない、
吉良の老人は自分の命の危険に対しても場所をわきまえた沈着な対応に終始した!!
 
後の芝居と全く逆の立派な態度をとっていた不幸な被害者老人である、
 
 
     ここで美女を見て少し目を休めてください
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続き
そして浅野は切腹を命じられた、それは当然です。
もう一つ不幸なのはこのような精神的に病んだ男を城主として仕えていた四百数十人の家来達である、家族を加えれば二千人近い人達が路頭に迷うことになった、この若者の凶行で一瞬にして失業したのだ。
 
世の中は不可思議である・この病気の男が何時の間にか『名君』となってしまった、
( 浅野の若者は此処で事件を起こさなくても、いつか自分の家来を襲ったと思う、
自分の家来なら何人殺しても藩内でうやむやになってもっと不幸な結果だったかも知れない )
幕府の処置は迅速であった、結果論で拙速という馬鹿がいるが・・・
  ここで個人的に思い出したのは社民の弁護士出の福○瑞▽と言うアホの顔でした。
幕府は十数年前にプッツンして刀を振り回して切腹させられた叔父と血筋のつながる若者を同じく切腹の処分をした、
それは封建秩序を守るためには当然であろう、『保護入院』などない時代では生かしておくのは無理である、
後に弟の再興を許さなかったのも同じ異常な血が流れているという理由があった、(7年後綱吉の死による大赦で安房平郡で五百石で旗本寄合いに復帰)
 
これも討ち入りとは関係ない8年後である、
 
反対に若者に切られた被害者の吉良の殿様は善政を敷いた『名君』であった、
国元に帰ったときこの老人は駄馬にまたがって領内を巡視したり・・有名な『黄金堤』という洪水から守る堤の建設をした事も有名である、新田開発も行った、領民が『富好新田』と妻富子の名を付けて尊んだほどである、
このような事実の一例から善政を敷いた領民思いの名君である、
 
反面、加害者浅野家のもう一つの背景も吉良の老人には不幸なことであった、
それは浅野の家老・大石の存在である、
吉良の老人には重なる不幸となるのは赤穂の家老の大石という男が仕組んだ策略があった、この善人の老人を何時の間にか世間では広く深く『悪人』にしていた。
 
これが年末恒例の集団ヒステリー物語の概要である。
現代でも日本では『被害者には冷断で加害者の心身喪失や心身恒弱者には異常に過保護』であるがこのアンバランスさは江戸時代から引き継いだ国家の欠陥です。
( 一例 名張葡萄酒事件・たくさんの殺された被害者と家族の憤怒、三重県警のお粗末処理で犯人と判っていても・・証拠云々と騒ぐ馬鹿弁護士と赤集団!地元の人達は「なぜ処刑して償いをさせるのを妨害するんやっ・・」と怒っています )
文書では残っていないが家老の大石は主君の心身喪失を理由に幕府に不満をぶっつけたのだ、
 
いわく『心の病の若者を切腹させるとは許せない、心か頭の病の者を罪に問うのは許せない・・・せめて弟に御家再興をしてくれ』
お家再興というのは自分たちが失業しなくていい為の方便に過ぎない、
この大石の理論は無いものねだりをする子供以下、反日日本人と同じ言い様である、
現代の羞恥心のない弁護士の口にする言葉そのものであるが・・・
 
しかし、それ以上に大石には次の幕府の処置が自分に向かうことを知っていた、その後の自己保身と家族を守るために離婚までして妻子を里に帰している、旧藩士には妻や娘を身売りさせて討ち入りの費用を捻出している悲惨さと比べるとまさに『人非人』としか言いようがない、自分は京都郊外に妾を作り日々耽美に暮らしていた、またそれは家老時代のままの大石自信の日頃の遊蕩に耽る生活態度の続きである。
 
浅野家留守家老、大石という男については浅野切腹事件の以前から当時の幕府情報網の中に・・
(いわゆる隠密による日本全国の藩内人事の情報は驚愕するほど精緻に諸国調査の記
録されていた、今の社会主義国家以上の情報収集である)
内容は大石の遊郭での豪遊、遊蕩が記録されている、その上講評まである、
『遊郭では池田某と異名を名乗っているが天性の女色狂いと酒宴狂いは常軌をいっしている、遊郭では・浮様・などとあだ名されるほど遊興にふけっている、このような人物に藩主の代理で藩政を執らせている赤穂は長くは安泰で続くことは難しい・・』などと淡々と報告されている、松の廊下での事件より数年前である。
幕府の儒学者・荻生徂徠は唾棄するように大石への評価を『赤穂は必ず不祥事を起こすだろう』と酷評を下していた、
 
驚いたことに浅野切腹後も大石の遊興三昧は続いた、京都山科で妾と住みだしたのも主君の切腹後である、それは吉良家を欺く為と言えない天性の女色狂い、妻を離縁して里に帰したあと女性と夜の営みが無いと過ごせない男!これも一種の病である。
 
ただ当時どこの藩でも家老などの重役には何人もの妻妾がいたのはよく知られている、が、藩がとり潰され旧藩士は浪人となって生活苦の辛酸を味わっていた、その上討ち入りの準備に苦しんでいた四十数人の苦労を知りながら子供のような若い妾に子供まで作っている大石という男の人間性は真面目な人物とはとても思えない。
このように隠密の報告は精細に大石の人間性の弱点に驚く程の詳細な記録を書いていた。
この報告書も現在残っているが・・・・忠臣蔵の大嘘・2 に続きます
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忠臣蔵の凄い戦術

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忠臣蔵の嘘・・3
        浪士の素晴らしい奇襲戦法と戦士
1)・2)・では 大石と言う男の虚構でした、が・彼の率いる浪士については大石とは逆に素晴らしい『戦士集団』です。
大石は ドーン・ドーン・ドドドド・・の太鼓を叩いていた、だけですが、
襲撃した浪士たちの戦術は素晴らしい奇襲作戦です、悲劇の吉良方の惨殺された護衛武士達は悲惨な犠牲者ですが・・。
古くさい「何とか流」では無く現代戦にも共通の緻密な情報収集と現場に対応した武器を調達し改造していました。
僅かな資金で、極く安物の『手槍』を購入して屋敷内で使い良いように自分の身長に合わせて短く切って使用してます、屋敷内では刀を振り回すなど出来ないと知っていたのです。
ひたすら狭く入り組んだ屋敷内では非常に有効な武器です。
  映画などでは刀を振り回していますが(まあ、そのほうが格好よく絵に  なりますが・・)
元禄時代では刀は持っていても日本中の武士は実際には使用したことは皆無です、
これはおそらく唯一の実戦体験者の堀部安兵衛の指導と思います。
彼はまだ中山安兵衛のとき高田馬場で多数を相手に勝ち抜いた実戦体験の
教訓として浪士に教えたのでしょう。
浪士達、すなわち下級武士ならではの素直さ、もし従来の精神論しか持たない上級武士では『途中採用』の安兵衛の教えを率直に聞か無かったと思います。
安兵衛は戦国時代より刀は補助兵器!槍が実戦の主兵器である!と高田馬場で身に染みて実感していたのです。
(一例として・・伊賀上野の仇討で多数の敵を倒した<荒木又右エ門>も最初に槍の名手を奇襲手段で倒しています、実戦では槍が有効なのを知っていたからです。
突然乗馬の下を潜っての奇襲手段は武士道や剣術としては卑怯者と蔑みます、が・勝てば後世では正義と呼びます)
浪士は狭い廊下で実際にまず槍で相手を突き倒し、後に続く浪士が倒れている吉良方の護衛を斬り刻んでいます、
かなり残酷なようですが奇襲戦法では反撃を封じるのが基本なので許されることです。
(平和ボケ時代に生きる私には・・そこまでしなくても・・と思うこともあ りますが、その時代に生きて居ない者の無知による身勝手なのです)
 
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    また、赤穂浪士の奇襲戦法で優れて居ることは他にもあります。
1・真っ暗闇の中、侵入路の照明の為に次々と簡易燭台の蝋燭を立てて味方に目標を間違わないようにしていました。
2・同時に敵の飛び道具である弓置き場に並ぶ弓の弦(つる)を斬る役目も  決めてあり、現に全ての弓は使えなくなっていました。
3・重要な合図のために笛もほぼ全員が持っていました。
4・楔帷子(くさりかたびら・防弾チョッキを想像して下さい)で自身の安全を確保して縦横に突き進んでいます。
5・襲撃時間の設定は人間の熟睡時の反射神経の消失時間を狙っている、目覚めても脳も身体も反応が不完全な時の襲撃は完璧な時間帯です。
(当時は不寝番は<火の用心>の為で今の歩哨・立哨のような敵襲警戒の
 兵では無かった)
 
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これだけ準備をした上での討ち入りは現代戦でも全て通用するものです。
これぞまさに元禄時代の、形式でなく実戦の訓練を重ねる自衛隊のレンジャー部隊の元祖です。
嘘ばかりの忠臣蔵で赤穂浪士達の研ぎ澄ましたような戦術は賞賛されるものです。
私は大石内蔵助は唾棄すべき男と断言しますが、襲撃に参加した堀部親子など全ての浪士達は優秀な武士であり戦士達だと信じています。
     忠臣蔵、実は不忠者の内蔵助ですが、赤穂浪士は元禄の優秀な
      レンジャー部隊でした。
 
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久居33連隊射撃場跡

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 久居33連隊の射撃場跡
    『明神射撃場』 西北の大釜池から『大釜射場』とも言われた
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赤 矢印→の様に射撃をした。
黄緑    の所から撮影。
          緑枠    白山・笠取の航空自衛隊の官舎(宿舎)                となっていたが民間に払い下げられて 
             今はソーラー発電が並んでいる。
西側にある歩兵作業所は高校の家畜飼育場になっている。
    陸軍墓地跡は某信仰宗教の敷地の一部に呑みこまれていて全く消         えている。  ≪新興宗教は日本を滅ぼすゾー!≫
  西北800メートルの傾斜地の道路横に拳銃射撃場があった。
            (この地図では左上方向ですが・・・)
 
写真では 票的は<黄色>で <射線>は赤矢印で入れたが標的の土手の極一部しか面影は無い。
 
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標的の方から射場を観る、やや下方に見えるのは標的近くの掘り下げ壕が埋められたからだと言うことです。
距離感から、陸軍の久居唯一の600㍍射撃場跡らしい所です。
尚、実戦的野戦訓練は御在所岳山麓の『千草』演習場で
徒歩行軍して、数日間泊まり込みで行ったそうです。
 
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以下は<黄緑点>から見た処
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自衛隊官舎跡地はほぼ中間なります、今はソーラー並ぶ、
 
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800メートル西北の拳銃射撃場跡は将校や機関銃兵と阿漕の憲兵分隊
の拳銃射撃訓練場、戦後は昭和50年頃まで警察学校の訓練に使われた
が、  今は道路拡幅で跡形もなくなっている。
 
(拳銃射撃場は何時かアップする予定です)
 
余話・・・
戦後、射撃場用地は雑集地として地元に払下げられたが、射撃場の中央にあるソーラー施設は自衛官官舎の跡なので財務省の払下げ価格が『宅地』となって居て異常に高価で地元では買い受ける人が皆無。
数十年たってバブル崩壊で暴落してようやく岐阜の会社が買い受けてソーラー発電になった・・と射場の近くの爺さんが笑ってました。
 
久しぶりに綺麗な従軍看護婦さんです。
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三式指揮連絡機の映像

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三式指揮連絡機
先日、「ユーチューブ」見て居て発見!
富士か?何処かの演習場で地上軍の指揮をする三式指揮連絡機を見つけた。
 
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元々は名前のとおりの機体ですが・・完成が遅れて・・結局は陸軍空母に
搭載、爆雷を積んで対潜哨戒機となって・・・・
 
陸軍航空母艦『秋津洲』と飛行甲板の三式指揮連絡機 3機見えます。
 
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対潜哨戒に変身! 漫画家の 『わち さんぺい』 さんの雑誌記事にあるとおりです。
 
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『わち さんぺい』 さんのイラスト2枚です
雑誌「丸」より
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このような ≪対潜≫ の使用だけ、と思っていたが・・違いました!
地上での連絡訓練中の写真です。
 
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前方からの写真、「わちさんぺい」さんのイラストとそっくりです。
 
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本来の地上軍との共同作戦の訓練機も実際にはあったのです。
完成が遅れて違う用途に使われた不運な飛行機と言われてますが!
開発時点の本職でも頑張ってたようです(喜)
 
以前作った模型です (今は友人の所です)
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「カ号」観測機

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カ号観測機
変わった飛行機・『三式指揮連絡機』のついでに・・
『カ号観測機』をすこし。
 
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最近は変なマニアさんがいて結構知られてるようです。
陸軍の航空隊の飛行機ではないので『キ○○』はありません。
最初は『砲兵隊』の弾着観測用に萱場工業で製作されました、だから頭に『カ』と言う説もあります・・・別説では砲兵観測の『カ』・・他にも諸説あります。
 
初期には『砲兵将校』が操縦(後席)と観測(前席)で訓練始める予定が・・・
大東亜戦争の定番! 戦局の悪化で対潜哨戒に!
三式指揮連絡と同じような海上での潜水艦相手に変更です。
例の陸軍空母「秋津洲」に搭載されて、運用と操縦は『船舶工兵』の将校になりました。
前席には乗らずに爆雷を積んだと言うことです。
石川県の海岸辺りに展開した部隊(何処かの学校の校庭)では前席にも乗員が乗っていた (ようです?)
 
発動機(エンジンと言うより響きが良いです)液冷式と空冷式がありました。
 
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始動から飛び方は<ユーチューブ>を見て下さい、回転翼には独立の動力はありません。
結構原始的な構造です。
 
始動には一人がペラの上端を手で固定して。
圧縮の歯車に付けたロープを数人が10メートル近くまで並んで引いて行きます。
ロープを一杯引いた所で、もう一人が固定していた手を放すと・・・
プルプル~ブル~ン
発動機の回転数が上がると回転翼につないで・・揚力が付く回転になるとクラッチ入れて
前方の推進ペラに繋いで、回転数を一杯にして前進(滑走)2~30メートルで離陸!
機体上の回転翼は機体前進の風圧で回転して揚力を発生するだけです。
まるで嘘のような オートジャイロ と言う飛行機です。
 
いつもと同じく暇でアホの私は<20分の1>の模型作りました、
横の『4式戦』と比べて下さい、そうとう小型なのが分かります。
 
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途中で飽きてしまい塗装は中断のままですが・・奇妙な形です。
 
 

名曲・「夕日と拳銃」

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名曲『夕日と拳銃』
 
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満州馬賊が愛用していたモーゼル拳銃
 
大昔ですがテレビドラマに「夕日と拳銃」というのがありました、
まだカラーでは無かったと思います。
 
壇一雄著・満州馬賊の「伊達順之助」の伝記小説です、
小説では『伊達麟之助』と変えてありました。
伊達家の血筋・(宇和島藩主伊達宗陳候の次男 説 と水沢藩主伊達宗敦侯の三男 説 )
 
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順之助が満州の活躍から終戦で銃殺されるまでの物語です。
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小説を読んでいた私にはドラマ内容は全くの駄作ドラマでしたが主演の工藤堅太郎?は熱演してました。
 
内容は兎も角! 主題歌が素晴らしかったのです。
(主題歌ヴォーカル・ショップ・作詞・夏  五郎、作曲・渡辺 岳夫)
 
その曲が、なんと!テレビ漫画・「巨人の星」の主題歌として復活、未だにフアンがいます、
  ~おもいこんだらぁ~  という馬鹿丸出しの歌詞ですが・・
  (ちなみに 私 阪神タイガースフアンです )
 
音痴の私にも
.≪ 曲は「巨人の星」にそっくりだー!パクられた-! 
 と思いましたが、パクりというより、作曲の渡辺岳夫が両方に
 使っただけ・という有名な曲でした ≫              
 
ユーチューブなどで探しても「夕日と拳銃」の主題歌はないようです。
仕方なく「巨人の星」の曲だけでもないか、と探しても・・クサイ歌詞付しかありません。
少年飛行兵の『空行く昭和の桃太郎』と、この『夕日と拳銃』は未だに見つからない、
私には幻の名曲です。
 
昔のテレビドラマ「夕日と拳銃」の主題歌の歌詞です
音感の良い方は「巨人の星」のリズムで歌って見て下さい、必ず感動します。
 
1.           満州広野夕日をあびて思いえがくは何事ぞ
国の山河か同胞かアジア大陸駆ける夢
いざゆかんいざゆかん理想に燃えていざゆかん
 
2.           日本にゃ棲めぬ男の命流れ流れて大陸へ
君よ嘆くな何時の日か二人相見る時もあらん
いざゆかんいざゆかん涙を払いいざゆかん
 
3.           蒙古の原に砂塵をあげてゆくは男の血がたぎる
風にルパシカなびかせて今じゃ馬賊の旗頭
いざゆかんいざゆかん希望は高くいざゆかん
 
4.           黄緑江と黄河の流れゴビの砂漠に吹く嵐
骨と心を埋むるに何の不足があるものか
いざゆかんいざゆかん命の限りいざゆかん
 
・・・・余談ですが・・・
昭和20年9月29日から支那軍の裁判がありその半月後に銃殺になりました。
最後まで持っていた小型のモーゼル
 
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真異は不明ですが「銃殺には俺の愛用の拳銃でドンとやってくれ」と言ったそうです。
又自分の心臓の所に枯葉を付けて「ここを撃つんだぞ」とも言ったと言われています。
伊達順之助は身長180センチ以上で当時では巨漢でした。
また当時拳銃の名手と言われて「天才的拳銃使い」として
国士・海賊の江連力太郎の「真剣」と並び称されていた。
( 今でも江連流『棒術・ステッキ術』は伝承されている )
 
幻の名曲・夕日と拳銃・でした。
 
            本文に全く関係ありませんが・・・戦場の美女、勇敢な看護婦さんです
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10月彷徨

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10月になりました。
世間は行楽と観光のシーズン・・・それと火山の爆発!
 
いつもの爺は一人で寂しく・・・( ター♂ は後足脱臼・・爺友人二名は入院中 )・・・
 
      ショボク、チャリンコをボロジムニーに積んだ。
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何とか、爺エサと寝袋を一緒に積んで・
 
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「帰ってこなくていいよ~」 という愛情一杯の お局様 の声に送られて・・
内心では 『 俺は特攻隊とちゃうゾ~、帰ってこさせてよ 』 と言いながら出発!
 
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チャリンコを組み立てて
山中で ボロジムニー から暫しのお別れです。
取り合えずトロトロ走っていける所まで行く。
 
ここで・・・・残念!娘2号にもらったカメラが電池切れ、
 
充電忘れた、いつもの自分カメラの単三4本のつもりでスペア4本持ってきた!!
普通に考えれば小型過ぎて電池入るスペース無い事に気付くが・・ボケオッサン。
 
中と半端ですがお終いです。
 
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忠臣蔵の大嘘・2

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忠臣蔵の大嘘―2
 
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大石内蔵助はいつの間にか小説でも芝居でも忠義の鑑、武士道の塊のように描かれているが実像は前出のような色欲のみで狡猾な男であった、武士道では最も卑下すべき姿。
 
大石 自信は身に覚えのあることで幕府の自分への評価はうすうす知っていた、
大石の心配とは・・・
  ・主君浅野切腹後はなんらかの理由で家老の自分も不名誉な処置を下される・・
  ・その心配は現実に迫りつつある・・・どうしようか・・・
主君浅野切腹の後は自分への不名誉な処分が下されるのは狡知に長じた大石自身にも分かっていた、
大石は駄目元で主君の弟・浅野家再興を届けたが・・本心では無理と知っていたようである。
 
対する幕府は『叔父、甥と、人を切りつけるような凶暴な血は弟にも流れている、再興して又弟が刃傷沙汰を起こすと幕藩体制に庶民が反発する』早い話
幕府の処置は『異常者の弟には藩主はアカン』と云う事になった、
ここまでは封建時代では当然のことである、
 
こうなれば・・・と、主君の切腹後も遊蕩三昧に浸っていたが破れかぶれ・・どこまでも未練がましい大石という男である。
大石は一生一代の大博打を打ったのであろう、それには単純な四十七人の失業した家来を連れた雪の降る深夜、夜明け近い時間の凶行であった
大石率いる浅野の家来は失業の恨みを自分達の事件の最大の加害者である主君や間接的な失業の責任者の幕府より『被害者』の吉良に向けるしかなかった、
 
惰弱な元禄に馴染み過ぎた家来達は幕府に反抗する正当な理由も度胸も無かった、
こうして暗黙の折中案・吉良が全て悪い・・吉良悪人説が捏造された。
  朝日新聞の従軍慰安婦捏造の元禄版です!!
こうして世にも不幸な吉良の老人は人生の終わりかけた歳で二度も無抵抗のままで斬られた、その上、死んでからも首を加害者浅野の墓前で突き刺されたのである、
理不尽に殺された上に今度は『遺体損壊』の犠牲にまでされた。
国許吉良では限りなく善政を敷いた良き殿様は全く何の瑕疵もないのに・・・
 
日本史上でも三度の凶行に遭遇する稀有な犠牲者となった、
悲惨にもその家来達も寝込んで2~3時間の意識も体力も脱落状態の時に鎖帷子と甲冑を付けた赤穂の浪人に四~五人で囲まれて一人づつ必要以上に切り刻まれていた。
ドラマの殺陣と全く違うリンチ殺人であった。
あとで検視役人が浅野の家来の顔も体型も確認出来なかったほどの死骸、残骸に検視を諦めたほどであった、惨状は正式な死体の人数が推定だけなのでも想像できる。
悲惨なのはその上、二百年以上後にまで主君と共に悪人として芝居にされている・・・・
 
ここまで悲惨な人生はシェークスピアでさえも考えなかった悲劇である。
また大石以外の浪士達は失業で自暴自棄になるより『それらしい名目』にのせられ凶行に走った心情は哀れでもある。
結果は『義士』と称えられても結局は切腹で人生は終わってしまった、
 
泣いて死のうとも笑って死のうとも死んでしまう本人には無限の闇に沈んで
消滅するだけである、おそらく宗教で言うような死後のバラ色の世界などはあるはずもない。
 
宗教でもっともらしい事をいっても実際に見に行って帰った人は居ない、本当は何も無くなってしまうだけだろう(私もあの世に行った訳ではないから確言できないが)
大石に乗せられた浪士と呼ばれる加害者達も哀れな一生で終わった。
 
その意味では吉良老人も封建時代の常として職務上では上司として知らずに『いじめ』をしていたかもしれない、
しかし雪の降る夜に集団で乱入してきた四十七人にリンチ殺人されるほどのものでは無い。
ちなみに殆んどのマスコミも吉良さんが有能で優しい『名君』であったのは知っている、( ただ知らない人がいれば歴史を勉強しなかった唯のアホです )インターネットでも驚くほど大量の書き込みが『吉良さんは被害者だ云々・・』と投稿されている、
 
それでもこのような異常な集団殺人を毎年変わらずに放映するのを止めないのが不思議でしかたない、
日本のマスコミ全体が元禄十四年から現代まで集団馬鹿になっているのはクソ朝日新聞の捏造まで続いている、私には全く理解不能である。
 
 
これが年末恒例『雪の深夜、集団乱入惨殺事件』の本当の話。
最低でもこれらの事実を知った上でこの集団殺人事件を見ていれば見方も変わるでしょう。
いづれにしても吉良の老人には全く不幸なことです、
それは浅野の家老に大石という男が居た為の不幸である、
自分のふしだらな生活をごまかす為に大石は一生一代の大博打を打った結果の行動、
それは単純な四十七人の失業した家来を引き連れた雪の降る深夜、夜明け近い時間の凶行であった。
結果は大逆転、大石の思うとおりに自分への評価は180度の変化である。
『忠義の集団を指揮した素晴らしい家老・大石内蔵助』の虚像が出来た。
この大石が自己の色欲遊興の出来なくなった果ての凶行、
理不尽の極致、吉良と言う最初の『被害者』を集団で殺害する、
 
日本では古くから「あだ討ち」はあったが全て同情すべき
『殺害された被害者の親族による復讐』を「あだ討ち」と言った、
現代でも凶悪な事件の被害者には「あだ討ち」をさせてやりたい思いがする、
しかし大石達四十七人は主君の浅野に切られて『傷を負わされた被害者』を再び襲って殺害した、暴力団の執拗な御礼参りである。
これでは「あだ討ち」ではない、執拗に被害者の老人を再度襲って殺しただけである、
前に書いたとおり吉良の殿様は善政を敷いて領民に尊敬されていた老人である、
今も吉良町では善政の証が方々に残っていて現在も尊敬されている人物である、
遊興三昧に歓楽街で遊び狂っていた大石と比べるまでもない人格の相違である。
馬鹿殿・浅野の若者は心身の病気だったという事で別にしても「忠臣蔵」とは意味不明である、
 
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「もしもあの時」は歴史学ではタブーとされている・・・・
しかし!あえて思うのは
『もしも大石達の討ち入り後に吉良の家来が大石達を襲撃して誅殺していれば』
それこそ本当の『あだ討ち』である、
 
主君への度重なる「殺人未遂傷害」と「殺人」と「遺体損壊」にたいする「正当なあだ討ち」が成立したはずです。
以上のように浅野と吉良と大石の三者の背景、状況から調べると年末恒例の
忠臣蔵とは矛盾の上に矛盾を重ねたフィクションに過ぎない、
だが人物が実名である以上は善者と悪者が全く逆になっている事を真摯に考えなくてはいけない・・と再度思ったのは朝日新聞と言う捏造マスコミの警鐘を込めて。
 
        お終いです。 美女で目を休ませて下さい。
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