『従軍慰安婦記事は嘘でした』数十年経った今!
今月8月5日朝日新聞が遂に自白!!
詳しい事は8月5日の朝日新聞を読んでください。
但し!買って読む価値なしのクソ新聞です! 図書館か何処かの待合室で見て下さい。ネットでも詳しく読めます。
内容は言い訳ばかりで日本国民や国の為従軍された方達の名誉を深く傷つけた事への謝罪はなし、やはりアホ朝日のままですが・・・。
内容はともかく朝日だけでなくテレビなどでも帝国軍隊は捕虜虐待をしていた・・、
などと未だに捏造報道し続けています。
自虐史観は日教組と共にテレビ等の報道関係も恥じらいなく捏造しています。
ある番組で『泰麺鉄道』の捏造!捕虜虐待と現地人の過酷な労働を・・云々の報道。
国際ルール順守の事実の極一部として英軍捕虜の食事内容をここに書くと
昭和17年・柳田中佐(陸士22期)の発案で
捕虜英軍大隊長、先任主計、軍医、8人の中隊長の計12名
ほぼ同数の日本軍将校と鉄道隊の中隊長、時には小隊長も参加して、毎週 金曜日『俘虜常会』を夜2時間実施していた。
内容は食事の事が多かった。内容の一例
日本兵の肉は1日200グラムで捕虜は1日50グラムであったが捕虜側 から増量の意見が出て最終は捕虜の肉は1日150グラムとなった。
短絡的に見ると日本兵よりまだ50グラム少ない、と思うが事実は捕虜の 肉を増量した分は日本兵から回していた、日本兵は1日100グラムに なってしまった。
補給の問題で1日に1頭の牛を潰して食糧にしていたが・・1頭の牛からは日本兵と捕虜合わせて1日250グラムしか支給できなかった。
自軍の肉を減らしてまで俘虜に増量!これが英軍捕虜虐待??
終戦後の日本兵が収容されたチャンギー要塞監獄で日本兵に出された食事の定量内容は・・
1食・一合五勺入りカップに乾燥ジャガイモ入りの塩粥、それに湯呑一杯 の 茶のみ、
これが一日三食、肉など欠けらもない、将兵の楽しみは一日一回のシャ ワーの時腹一杯の水を飲むのが唯一の楽しみであった。
マスコミや日教組のアホはどちらが『非人道的』か?分からない頭の病を持っているようです。
食事以外では・・
日常の虐待などしたくても出来ない状況!
捕虜一万人を見張る軍属は数十人、
旧式の30年式騎兵銃だけの(日露戦争以前の銃剣も着けれないボロ銃) 軍属一人で数百人の監視では虐待などすれば逆に袋叩きにされたでしょ う・・身長10センチ以上大きな英兵に小柄の日本人軍属が・・
その頃、鉄道連隊の将兵は現地作業員の先頭に立ってほぼ丸腰で敷設作業で現地人に混ざって遥か前方にいる。
手記の抜粋からです、捕虜とは陰険な関係でなく協力者
として捕虜・労務者を対等に称えているのが分かります。
現地労働者の虐待・・・
当時、現地労働者のタイ人は「労賃を纏めて支払ったその夜に300名が 逃走、4名のみ残って・・」と虐待どころか日本軍を金儲けのターゲット に・・
マレー人・支那人・も建設協力は少し良い程度、ビルマ人のみが積極的に 協力してくれた。
と言っても全て金銭契約をしたもので当時の日本兵から見ると「高級取 り」であった。
ここのような事実は、日本人・支那人・朝鮮人の全ての慰安所の女性も同じく高級とりであった、 (これは今の風俗嬢がサラリーマンの一か月給与分を3日で稼ぐのと同じです)
終戦で復讐裁判による刑死者27名!鉄道連隊2名、俘虜収容所25名、全てがでっち上げの内容です、が戦後の朝日などの報道は正に自虐追従の冤罪刑死者に対して恥ずべきものです。
アホ朝日の一人でも良いから鉄道9連隊大尉の弘田栄治遺稿『死ぬまで』を読んで頂きたい。
この難所工事を成し遂げた弘田小隊長の知名度が復讐心に狂う
英国軍に記憶されて戦犯にされたのです。
尚・鉄道5連隊と鉄道9連隊の名誉のために泰麺鉄道の建設から完成まで全ての設計技術と建設技術は技術将校と鉄道連隊の将兵で成し遂げたものです。
「戦場にかける橋」などの映画の影響で英国人の技術が云々は皆無です。
帝国陸軍当時から自衛隊鉄道部隊を経た今現在まで鉄道敷設技術は世界を凌駕しています。
千葉の自衛隊に残る鉄道連隊の100式鉄道牽引車
参考文献・広池俊雄著・泰麺鉄道ー―読売新聞刊
岩井健著・C56南方戦場を行くーー時事通信社刊