三重空・香良洲の飛行予科練習学校
あまり知られていない話
三重空・香良洲・ここは飛行場の無い航空隊です。
操縦士の練習生は居ません、だから単座の零戦・紫電・紫電改・雷電などの搭乗員は居ません、
三重空出身で特攻などで戦死された方は後部席の搭乗員でした。
≪入校学生・生徒≫
大きく分けて・
旧制中学卒の甲種。
旧制高等小学校(国民学校)卒の乙種・・・
甲・乙が『若い血潮の~』の歌で知られる少年志願兵。
一般兵科らの転出の丙種・・(航法・通信では既教育のベ テランでした、海軍の即戦力の主力)
大学・高専からの飛行予備学生・・西村晃・阿川弘之・ 安藤昇・・・など沢山みえます。
≪訓練内容≫
大まかに4つに分かれます。
1-上の4種の練習生・学生の飛行科の通信・航法・偵察・射撃・照準の
教育隊です。
操縦教育以外の搭乗員だけです、陸上攻撃機などの大型機の搭乗整備
員も居ません。
特徴・・教育がほぼ終了したころに鈴鹿の航空隊に数日間出かけて「白菊」機上作業訓練機で伊勢湾海上を飛んで海上の標的筏への爆撃照準と投下訓練や旋回機関銃射撃訓練をしました、「白菊」の窓を閉めて航法訓練と通信訓練、飛行機に乗る訓練はこれだけです。
2-松阪市岡山町の山中(小さな盆地)に陸戦訓練場があり小銃射撃や野戦訓練を数日間、宿泊して訓練をしました。
3-有名な「三重空式」と呼ばれるモールス符号の暗記方法は戦後も『三重空出身ですね』と広く知られていました。
速成大量教育で従来のモールス符号の教育では時間が掛かるため
イは ・-(ト・ツ―) ロは ・-・・・(ト・ツ―・ト・ト・ト)
ハは ―・・・(ト・ツ―・ツ―・ツ―) ニは ―・-・(ツ―・ト・ ツ―・ト)
と暗記するのを言語暗証で速成効果を上げた、≪ただし送信受信には従来より数秒遅れたそうです≫ 数例上げると、
イは(イト―、伊藤) ロは(ロジョウホコウ、路上歩行)
ハは(ハーモニカ) ニは(ニュウヒゾーカ、入費増加)等と暗記させる三重空の発明です。
4-卒業生では西村晃(水戸黄門のあの人です)が有名です、卒業してから中尉の時、特攻隊員として鹿屋で待機中に終戦、待機命令を無視して部下の操縦する「白菊」に妻を乗せてさっさと横須賀に帰った・・これは有名な話で、多くの人の戦記に『予備学生出の中尉に凄い猛者が居た』と終戦時の伝説になって居ます。
・・・三重空のエピソード・・
西村晃さんは「白菊」で特攻!と決まった時、
『馬鹿のような海軍上層部だ、鈍足の白菊で自殺できるか』
と学生結婚していた妻を基地近くに呼び寄せて
『出撃したら鬼界が島に着陸するからそこにおいで』
とエンジン不調と言って不時着を計画していた、
爆弾を積んで時速200k/h以下の「白菊特攻隊」のバカバカしい自殺飛行を基地でも「馬鹿かぁ」と笑って否定していた人です。
もし・・西村中尉が「彗星」「銀河」「彩雲」で出撃命令を受けてたらテレビの水戸黄門の西村晃さんは存在しなかった・・・と思えば海軍上層部の馬鹿のおかげかな?
(鬼界ガ島は今は喜界ガ島になってます)
もう一人・戦後ヤクザで東映の俳優になった安藤組の組長、安藤昇も香良洲の三重空出身・海軍中尉です。
・・・・・平成26年・・・・・
今年は5月18日に第47回目の慰霊祭がありました。
そこで『三重海軍航空隊隊歌』なども歌われましたが戦後69年を経過して三重空の生存者・旧若櫻顕彰会勇士の方は数名のみでした。
生存者以外全て、地元香良洲神社関係者・三重県隊友会・三重県水交会・の会員だけとなって居ます。
慰霊祭で歌われた 『三重空隊歌』
蛇足・三重空も終戦近くには奈良に三重空・奈良分校が出来ました。
他にも西宮・滋賀・高野山に分遣隊が造られたが教育実績があったか?
実施?されたか不明。
奈良分校は今 『航空自衛隊幹部候補生学校』 と 陸・海・空の『操縦英語課程学校』・(正式な名称は不明です)になって居ます。
終戦前後の国内状況下で、こんな美女の奥さんを載せて「白菊」でふんわりと横須賀に帰った黄門様は、ある意味で勇者だと思います。
(注)西村晃さんは決して反戦主義者などの赤ではありません、
国を愛した冷静な愛国者でした、念のため!!![イメージ 3]()