Quantcast
Channel: 一式犬のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 209

今日は10月25日です

$
0
0
イメージ 2
 
     今日は・・昭和19年10月25日・・
 
レイテ島から≪最初の神風特攻隊の出撃の日≫と言われていますが実際は・・
 
神風特別攻撃隊の初出撃は同年1021日で4日前です。
大和隊・敷島隊・朝日隊・山桜隊の計24機が出撃、ただ当時の悪天候などでほぼ全機が帰還したが、大和隊隊長・久納好孚中尉 が未帰還となった。
23日には大和隊・佐藤馨上飛曹 が未帰還。
そして・・ようやく25日午前1049分、敷島隊指揮官の関行男大尉以下6機 が空母「セント・ロー」を撃沈し、初戦果を挙げた。
 
  なぜか、関大尉が神風特攻隊の最初となっている・・理由は沢山あります、
関大尉は海軍兵学校卒に対して久納大尉は法政大卒の予備・スペア云々・・
関大尉は実際の戦果を挙げた云々・・
敷島隊のみ出撃の壮行儀式が行われてニュース映画を撮った・・
 
イメージ 1
 
そんなことはどうでも良い事です、優秀な熟練の下士官飛行兵20名以上が虚しく死んでいった方が重大な事です。
何年も命を懸けて、空戦を生き抜いた若者に突然『死ぬだけの体当たり』を命じる馬鹿達! これは作戦ではありません、錯乱です。
死ぬべき時は死ぬ覚悟で戦闘している健気な若者に『死ね』と言う愚かな人間、
命じた司令部の連中は戦後ものびのびと生きて居ました。
 
イメージ 3
 
・・・それから10か月・・・
昭和20815日玉音放送の後、
戦場の将兵はかろうじて生き残ったのです。
そのようやく生き残った感慨に耽る間もなく・・究極のアホがいました!!
名前は、宇垣纏と言う中将「最後の特攻」として云々・・・
艦上爆撃機「彗星」11機が・・・自発的に特攻に参加したと言われてきたが実際は・・
 
8月15日、天皇陛下の玉音放送で大日本帝国の降伏を知った宇垣中将は、
≪最後の特攻出撃をかけ、自決しよう≫ とした。
出撃を取り止めようとした部下に
「いまだ停戦命令に接せず。多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」
と、思うのなら自分で切腹なり拳銃で死ねばいいのだが・・ここが困った男である。
中津留達雄大尉操縦の「彗星」の後席に偵察員の遠藤秋章飛曹長とともに同乗、
二人乗りの飛行機に無理やり三人が・・遠藤飛曹長は死を命ぜられた上に窮屈な思いだったでしょう。
そして大尉の部下1122名を道ずれにして出撃する有馬。
 
イメージ 4
 
中津留達雄大尉以下22名の搭乗員の11機の艦上爆撃機「彗星」は大分飛行場を出撃した、
終戦で死を逃れたはずの22名!切腹も出来ない『馬鹿』の命令で、折角終戦まで生きながらえた優秀な若者が死ぬことになった!
 
出撃を見送る予科練の先輩同期後輩達は泣きながら
『有間の馬鹿野郎!○○を道ずれに殺すな!自分一人で腹を切れ――』
と飛び立つ友人の名前を叫んだ(死闘の水偵隊・予科練一代・激闘艦爆隊・等より)
 
 
偶然にも関行男大尉と中津留達雄大尉は、戦死したのは同じ23歳で兵学校70期の同期生、関大尉も元は艦爆操縦です。
 
もし帝国海軍が存在していれば、有馬は部下でもない彗星部隊に専権的に特攻出撃を命じたことになり,軍法会議の処罰対象者である
 
体当り特攻作戦とは狂気の作戦ですが≪隊員は命を捨てて敵艦に向かった勇者≫であることは間違いありません。
そういう立派な若い人達のおかげで今の自分達が生きてられるのを忘れてはいけません。
 
感謝の心の無い社民・民主・共産は住みやすい此の世の天国の隣国へ出ていって下さい。
 
特攻隊以前にもその時の情況で無心となって身を捨てて征った方達が沢山見えます。
 
イメージ 5
 
昭和19414日、アンダマン諸島へ向かう陸軍輸送船「松川丸」を護衛中の飛行第26戦隊の一式戦闘機「隼」石川清雄曹長は米海軍の潜水艦が発射した魚雷3本を発見。
機銃掃射しつつ魚雷目掛け海面に突入し戦死!
・・・・・命と引き換えに魚雷の爆破に成功、輸送船を守った。
 
イメージ 6
 
このような体当たりは、神風特攻隊とは違いますが、
乗っていた人は同じように国の為に一番大切な命を捨てられた立派な方達です。
            感謝を忘れないでください.
 
 
 
 
 感謝を忘れると社民・民主・共産・のような人間になってしまいますよ。
 
イメージ 7
悪い人間共をバッサバッサと・・・
 
 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 209

Trending Articles