日本軍の水筒
殆ど、と言うか全く知られて居ない・・・時代考証家も知らない??
明治十八年~三十年 陸軍に支給されたのは『ガラス製水筒』
某国営放送の司馬小説のドラマでも全く違う水筒を腰に下げて居ました・・バーカですね~~~。
明治に国家が安定してくると次には国外に進出する軍隊に大量の水筒が始めて必要になり、装備されることになった、これが日本人に一般的に知られることになる水筒の始まりである、明治の軍隊は「水筒と言わずに吸筒・すいづつ」といった。
採用された「吸筒」はドイツ製の水筒を元に製作された、容量700ccのガラス製であった、ガラスの外部を黒い牛革で覆ったもので形はアールヌーボー時代を反映して綺麗な外観である、
容量700ccで後の大東亜戦争時代の 1リットル に比べるとやや小型であるが採用当時は世界的にも普通であった。
日清戦争、日露戦争時代の騎兵下士官の書いた「ある老兵の手記」には北清事変(明治33年・1900年)のときアルマイトの騎兵用新型を装備して出征した筆者がこのガラス製の旧タイプ水筒を『日清戦の頃はガラスなのでよく割れて困った』・・と記している。
映画では戦前の『西部戦線異状なし』にドイツ兵がこのタイプのガラス水筒を装備しているのが見られる。
この時の水筒はまだ正式年号を付ける決まりがなく単に「吸筒・すいつつ」ともいわれていた。
明治三十三年には全てアルマイトの新型に替わったが陸軍に残っていた旧式のガラス水筒の一部が北海道の屯田兵に貸与されていたようである、
ガラス製だが黒い牛皮で巻かれていてガラスはみえない、先に書いたように形状はアールヌーボーの軟らかい曲線の優雅なものである。
次の写真二枚が『吸筒』である、約百年昔のもので黒かった革が焦茶色に退色している。
分厚い牛革が口の所から分かります
( 手にしてみると手のひらになじむような形状に驚く、ドイツ人の合理性が形体力学から考えたのだろう、第二次戦・東西分裂から今のドイツ軍までの水筒形状はアルミになって、容量が1000ccに増えただけで殆んど変わっていない、また巻かれている分厚い牛革は濡れても乾いても滑らずに安定している、恐らく熱い湯茶を入れたアルミ水筒のように熱くて持てないことはないだろう )
上は同じガラス製水筒の牛革覆いの無いもの、
詳しくは不明だが軍用の再利用?布を精巧に密着させて縫ってある。
別物ですが、大東亜戦争末期に作られた・代用ガラス水筒
けっこう綺麗な黒ガラスです。
これは明治の子供用の玩具の水筒(元は金平糖が入ってます)
高さ15センチで薄っぺらな小さなガラスです

