4月13日
今から403年まえですが慶長17年の出来事・・5月13日説もあります。
歴史に詳しい方ならほとんど知って居る《巌流島》の戦いです。
宮本武蔵と佐々木厳流小次郎の戦いです。
二刀流と長太刀の・・今風に言えば『異種競技』です。
小次郎は十分に対二刀の戦術を考えて居たと思います。
( 武器は長い方が有利なのは明白です、今でも・・ルール無視の場合
ですが・・
剣道の達人でも中級程度の長槍や薙刀を持った相手に簡単にやられ
ます、大艦巨砲主義に似てます )
予想に反して武蔵は小次郎の長太刀より更に長い棒を振り回して・・
早い話が小次郎は ≪射程外≫ からの一撃で終了です。
戦のない元禄時代の武士道の剣術では卑怯なやり方だ! となりますが
戦国時代の末期の剣術では『奇襲で一瞬に撃ち倒す』のが生き残る普通の戦法です。
ところで・・武蔵や二刀流礼賛者には怒られそうですが、
刀は何本持っても射程距離は1メートル以内です。射程3メートルの槍・薙刀には勝てないと武蔵はしっていたのです。
この長い物には弱いという真意は武蔵の『二天一流』にはありません、
それは武蔵が死ぬまで武芸者として秘伝を明かさなかったのでしょう。
三船敏郎の武蔵
ただ二刀流の有利なのは左右のどちらに長い方を持つかは個人によって違うので一刀流は『見極めにくい』と避けて居たと言います。
また抜刀術(居合抜きではありません)の達人は『二刀流には刃向うな』と教えた記録があります。
と生意気な書きましたが全て無責任な自己流の暴説とお許し下さい。
私の好きな日本美人です